天は永遠であり、大地も永遠です。
天地が永遠であるのは、
自分の意志で永遠であろうとは思わないからです。
これが、長く物事が継続する秘密なのです。
だから真理(道)を知った聖人は、
自分のことを他者のために後回しにしていても、
自然と周囲の人たちが
聖人を押し出して先頭に立たせます。
また、聖人が遠慮をして
他の人たちの輪の外側にいても、
周囲の人たちが自然と聖人を取り囲んで、
輪の中心に置きます。
これは聖人が、無私無欲だからこそ
自然とそう「なる」のです。
これは人が、物事を自然と達成するための秘訣なのです。
これは、老子がカンナガラ(自然体)の
極意について説明しています。
また、「あわてる〇〇は貰いが少ない」
「急いては事を仕損じる」という、
戒めを示唆しています。
さらにもっと言えば、
老子が「脱力しなさい」
「ムダな力みを抜いて、淡々と挑戦しなさい」と、
言っているようにも感じます。
実は、世の中で成功する人間は、
「自分は世の中で成功したい!」とは
"初めから"思わないのです。
普通の人間は、この時点ですでに間違っています。
老子は、そうではなくて、
無私無欲で「世の中に貢献したい!」と思う人間が、
自然と周囲に導かれて成功への階段を上ると言います。
結果的には、これが早道なのだとも言っています。
これは勉強でも言えます。
「良い点数を取るのだ!」という思いからの勉強法は、
試験の本番に弱いのです。
焦って急いで上辺だけを
記憶しようとすることに「なる」からです。
そうではなくて、
中身の理解に重点を置いていれば、
出題範囲の決まっている定期試験には弱くても、
"出題範囲が広い"入試本番には強いのです。
公式を覚える勉強法はすぐに問題が解けますが、
応用が利きません。
公式を導き出した過程を理解した人間は、
どんな問題が出ても非常に強いのです。
この第七章は、まさに老子らしい
言葉のエッセンスが詰まっています。
これを二千五百年も前に生きた老子が言ったのですから、
深く敬意を表します。
しかし、「無欲で物事に挑戦しなさい」とは、
自分の自我(じが:ワレヨシの思い)が邪魔をして、
現代人には非常に難しいテーマです。
私たちは「挑戦する前から」結果を望んでいます。
先に結果を考えています。
このような思い(自我)が強い人間ほど、
未来を気にしたり、占いなどを好んだりします。
老子は、「それがオカシイのだ」と言っています。
挑戦する前から結果を置く不自然さ、
今の目の前の物事を捨てて空白の未来を見ていては、
失敗するのが当然だという意味なのです。
しかし、私たちは先に結果を置いていますね。
人間は、その「過程」を大切にしていれば、
結果は自然と良いモノが付いてくるとも響いてきます。
今日から一日一日の「過程」を
大切にして生きてみましょう。
必ず良い方向に向かいます。
「柔訳 老子の言葉」
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