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「どんなダメな自分でもそれでも生かされているのです」3/18(月)

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地上に生きる人々、天空に住まう精霊たち、

神々であれ、人であれ、

同じ場所に存在するという縁の奇跡を尊重して、

神々も精霊も人も、平等に礼拝します。

そして、すでに存在する、

すべてのことに共通している

普遍的な真理を尊重します。

この真理の言葉で、幸せになれます。

[原始仏典『スッタニパータ』

第二章第一節-二百三十七番]

 

「すでに存在する、すべてのことに

共通している普遍的な真理を尊重すること」

この一文を読んで思い出すことは、

禅の永平寺を開いた道元禅師の言葉です。

一二二三年、道元禅師は二十四歳の時に中国(宋)へと、

禅の原点を学ぶために海外留学をされました。

そして、天童如浄(てんどうにょじょう)の下で

修行を重ねた結果、

一二二五年に師の「身心脱落(しんしんだつらく)」

の言葉から、コノ世のすべてを悟られました。

それから二年後、道元さんが二十八歳の時に

日本へ帰国されました。

 

道元禅師は、帰国した後の思いを

『永平広録』に記されています。

*たまたま偶然の縁で、

本物の禅の師に出会うことができた。

*そして修行を重ねて、

真から腑に落ちた悟りとは、

目は横に並び、鼻は縦に、

顔に付いているということだった。

*この当たり前なことを再発見した御蔭で、

もう他人の言葉にも、物にも惑わされることは無い。

だから私は、何も持たずに日本へ帰国した。

*思い返せば、遠い異国の国に、

仏法と呼ぶような教えが

「これだ」とあるわけでは無かった。

ただしばらく、留学の時間を過ごしただけだった。

*私が学んだことは、わざわざ命懸けで

遠い国で悟ったこととは、

太陽は朝に東から昇り、

夜には西に沈んで行く、ということだった。

 

以上のような内容を、道元禅師は述懐されています。

道元さんが落ちた悟りの中身は、

●目は横に並び、鼻は縦に、顔に付いている。

●太陽は朝に東から昇り、夜には西に沈んで行く。

この再発見に、道元さんは感動に

打ち震えたと書いておられます。

 

「えっ?バカにするな〜〜い!」

「えっ?当たり前だろっ!」

そう思うことでしょう。

でも、なんと釈尊が言われた内容と同じなのです。

それが、この項の、「すでに存在する、

すべてのことに共通している普遍的な真理を尊重すること」、

これと一致します。

 

つまり人間とは、何か思い通りにならないことがありますと、

すべてに曲解を始めます。

楽そうな裏を探し始めます。

すると、大切なことからドンドン離れて行くのです。

 

悟りも同じなのです。

修行しても、悟れない・何もわからない・

変われないものなのです。

すると、どんどん奇異なことを求め始めます。

最終的には、真の悟りから遠く離れた

金儲けのナリワイをする人が多いです。

 

家庭の主婦も、お金がないからと言って、

「家族のために」と夜のお酒の世界で働き始めれば、

どうなるパターンが読めますか?

お金で誘惑する様々な好色男が客として来ます。

 

一年後には、その大切な家庭自体が

壊れているかも知れません。

何のための深夜労働だったのか?

どんなに貧乏でも、母親と過ごすほうが

子どもには嬉しかったのに。

すでにある家庭を大切にすることです。

 

道元さんの話から、

*悟りを求めないことが、悟りだった。

*当たり前なことを、心から大切にすること。

 

釈尊からも、

*すでに存在する、すべてのことに

共通している普遍的な真理を尊重するこ

*すでにある物事こそを、大切にすること。

 

このような視点を常に忘れずに、

自分の生活の中の物事を

見ていっていただければ幸いです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第三巻」

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