高い悟りを得た仏が、
もっとも尊ぶことは、
継続して、安心した心の中に安住することです。
これが様々な御宝を呼びます。
これ以上に大切なことは、
コノ世には無いのです。
これこそが、真理の中でも御宝です。
この、私(釈尊)の真実の言葉によって、
心だけは幸せになって欲しい。
[原始仏典『スッタニパータ』
第二章第一節-二百二十六番]
現実にはどんな生活をしていても、
継続して、安心した心の中に安住すること。
これが、もっとも大切なことであり、
真の幸福を呼ぶカギであり、
即効性があると釈尊は指摘しています。
安心した心の中に安住することを、
仏教用語では「三昧」
(さんまい。俗語ではザンマイ。
サンスクリット語ではサマーディ)と言います。
心が「三昧に住む」には、
どうすれば良いのでしょうか?
厳しい家庭環境や、辛い労働生活の中でも、
自分の心だけは安心の中にいることが可能でしょうか?
釈尊は、どんな中にいても、
心だけは三昧に住むことが可能だとします。
これは、心の逃避でもないのです。
本当に心だけは、安心の中に置くことが誰にも可能です。
多くの人が、実は三昧の瞬間を
体験したことがあるはずです。
過酷であればあるほど、
ふと、なぜか笑みがこぼれる時があったはずです。
辛い中でも、瞬間的にはなぜか
笑えることがあるものです。
三昧には、口元の笑みが付き物です。
でも、瞬間では三昧はあっても、
釈尊が指摘するのは
「継続して」三昧の中に心が住むことです。
これが難しいことです。
「こんな生活の中で、心だけは安心する
(三昧に住む)ことなど無理だ」
と思う人は多いです。
問題は、最初から、
「自分の心を安心させる方向性」を
考えもしていないことです。
最初から、自分の心だけは
安心させる視点を放棄して、
辛い・苦しい・心配・無理だ、
という視点でいることを
自分で選択しているのです。
ここが問題です。
自分自身が、心を安心させることを望まないと、
それは起こるはずがないのです。
だから、この項の参考にして欲しいことは、
*どんな中に住んでいても、
自分の心だけは安心させる努力をしてみること。
*自分の心を痛めるよりも、
「大丈夫だ」と自分の心を守っていくこと。
*肉体が傷ついても、
心までは傷つけない方向性を心がけること。
このような視点を、
生活の中で意識して欲しいものです。
誰もが、生まれた時点で、
死に向かって歩き始めているのが人生です。
だから、心だけは、安心させることを
普段から心がけていることは、
真に自分を助けることが「後で」わかります。
明るく、自分の心だけは守って生きましょう。
「柔訳 釈尊の教え 第三巻」
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お客様の声
君津本店
●以前、集配の方に来てもらってい
たという年配の方がいらっしゃいま
した。足がお悪いようで、杖をつか
れて、わざわざご来店いただきまし
た。