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「人は”私が”を持つほど苦しみが始まっていく」2/11(日)

更新日:

雪山に住む神霊と、七岳山の神霊が、釈尊を前にして宣言します。

「人々に説法を聞かせる者であり、教育者でもある釈尊よ。

あらゆる霊的存在を超越して、生きながらアノ世に到達した叡智の者よ。

カースト身分制度の戒律をも破壊し、恐怖するべき権力者たちをも恐れない

完全なる覚者である釈尊。

完全なるブッダ(知恵を完成させた人)と言えるあなたに、我々から問いかけます」

「原子仏典『スッタニパータ』第一章第九節ー百六十七番」

 

まず雪山に住む神霊が問いかけます。

「どんな条件が揃って初めて、社会の中で”私が”という思いが発生するのですか?

何を原因に持って、世間の中で人に自我が発生し得るのですか?

”私が”という自我を持つことが、社会の中でその自己存在を主張することになると、

なぜコノ世でされてしまっているのですか?

そうなった自我が、世間の中で苦しい思いを体験することに

必ずなる理由も教えて欲しい。」

「原子仏典『スッタニパータ』第一章第九節ー百六十八番」

 

二柱の神霊が釈尊に会うまでに、「これでもか!」というほど引っ張ってきました。

さあ神霊が、どんな質問をするのかな?と興味深く読み始めましたが、

一度目の読みでは、「はああ?なんですかこれは?」

二度目の読みで、「こ、これはかなり高度なことをいきなり聞いているようだ。」

三度目の読みで、「これはまず、質問の意味がわかる人が少ないかもしれない。」

このような感想を持ちました。

 

神霊が聞く質問といいましても、それを見ている人間側を意識した基本的な質問から始

まると思われた人も多いかも知れません。

ところが、神霊は最初から、この世の苦しみの発生と成り立ちへの疑問を釈尊に問いか

けています。

*社会の中で、いかにして人間の”私が”という自我(ワレヨシの思い)が発生するのか?

*”私が”という自我を持つことが、社会の中で個性として良しとされてしまった理由は?

*発生した自我を持つと、人は社会の中で苦しい体験をすることになるのは、なぜか?

 

神霊からすれば不思議で仕方がない、

*必ず苦しみを呼ぶ原因(磁石)となる自我を、どうして人はこの世に生まれ出れば、

持つのだろうか?

*アノ世にいる間は自我を持たないのに、コノ世に生まれると人は自我を持ってしまう。

*しかもその自我が発生するほど、その人は後で苦しみを持つことになるのに。

このような疑問を神霊は持っているわけです。

 

ここまで解説しますと、これは中々、ド・ストレートな良い質問である可能性がわかります。

コノ世で人間に、苦しみの思いが発生する根本への疑問を釈尊にぶつけています。

逆に言えば、コノ世に存在する、生まれている神霊にも、この答えがわからないようです。

そこで最初の百六十七番に見られます釈尊への美辞麗句(たくみに飾った称賛の言葉)の意味

がわかります。

「こんなに称賛される釈尊よ、必ず答えられるよな?」というプレッシャーを、神霊は釈尊に

対してかけていたようです。

 

さて、この難解な問いかけに、釈尊はどう答えるのでしょうか?

宇宙の創生にも関わる、非常に難しい直球の疑問です。

「柔訳 釈尊の教え 第ニ巻」

 

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