人食い鬼神が釈尊に問いかけました。
「迷える人間は、
どのようにすれば悟り(大安心)の
知恵を得られるのか?
人は、どのように生きれば、
財産が貯まり安心するのでしょうか?
人は、どのようにすれば
良い地位に出世ができるのでしょうか?
人は、どのように生きれば、
友人が広がるのでしょうか?
そして人は、どのように生きれば、
コノ世から去った後に、
アノ世で後悔をしないのでしょうか?」
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第十節-百八十五番]
この人食い鬼神は、
その地域では祟り神・荒神様として、
村人が建てた御宮に住んでいる
霊的な存在です。
人間から、様々な祈願、希望を
長い時代にわたり聞いてきたわけです。
その祈願の内容には、
憎い他人への呪詛を依頼する者、
金銭が欲しいと願う者、
悟りたいと願う修行者、
恋人や友達が欲しいと願う若者⋯⋯などなど。
そして、そういう祈願をした人々が
時を経て死に、アノ世で
後悔する様子も見てきたのです。
このような人間のサガの姿を
何百年も見ている鬼神は、
ある意味で困惑していると言いますか、
人間のサガを不思議に思っているようです。
二千五百年も前の古代インドの人々も、
・どうすれば金が入るのか?
・自分が誇りを持てる身分・地位が欲しい。
出世したい。
・交友関係の悩み。
・心の幸福を求めて悟りたい。
このように人生で悩み、
鬼神に頼みながら暮らし、
死んで逝きました。
そして、その魂の行く末を
鬼神が見ていますと、
アノ世で後悔している魂が
大半である現実。
このような流れを
何世紀も繰り返し見続けてきた鬼神は、
「どうすれば人間は救われるのか?」
「それは無理なのではないか?」
と疑問に思って、
釈尊に尋ねているようです。
鬼神のこの問を見ますと、
今の社会の人間も、古代の人々と
まったく同じ悩みなのです。
これは、何ということでしょうか。
ただ、コノ世で自分の希望は
叶わなくても良いから、
せめて「アノ世でまでも後悔をしたくない」
と思いませんか?
そのための生き方ならば、
誰でもできそうな気がしますし、
これこそが、コノ世で
栄華を体験するよりも、
魂にとってもっとも
大切なことだと感じます。
人間にとって、
死後に後悔をしない生き方とは、
*自分の良心に沿って
生きることが一番である。
*人生での栄華も、成功も、関係がない。
このように私は感じます。
「柔訳 釈尊の教え 第三巻」
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お客様の言葉
伊勢丹新宿メンズ館店
●本日スーツとマフラーをお持ちになった
Y様。「前回もとってもキレイにしてもらっ
たのでまた持ってきました。」と、嬉しそ
うにおっしゃていただき、またお預かりしま
した。
★H様。ユーミンの限定スタジャンを同世
代同士の楽しい会話と共にお預かりしまし
た。とっても思い出のある品物なので、
大切にしまっておくそうです。