「疑心暗鬼を生ず」とは、
暗闇の中にありもしない鬼の形を
見てしまうように、
なんでもないことまで疑わしく思え、
悪い想像力で自滅していきます。
自分の中に、疑心暗鬼を生まない、
持たない、育てないだけでも
人生は好転していきます。
ただ「起こる事だけを見る」
ようにしていけばいいのです。
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釈尊を非難したり、
出家した専業の
仏教修行者を非難したり、
在家の真面目な
仏教信仰者を非難する者は、
このような人こそが、
最低の人間である。
「原始仏典『スッタニパータ』
第一章第七節-百三十四番]
この項は、後世の仏教者による
加筆だと想定します。
釈尊御自身の言葉を
感得ができません。
それどころか、
「私を非難するな。
私の弟子たちを非難するな。
もし非難するよう者がいれば、
それは最低の人間だ」
⋯⋯このようなことを
釈尊が言うはずがありません。
現代社会にも、
・他人から非難されることを怖れる。
・非難する他人がいれば、
異常に対抗したり、
口止めしようとする。
・自分を非難する他人は誰か?
知りたがる。
このような人々がたくさんいます。
そして、このようなことが
自分の心労やノイローゼ気味となって
会社や学校を休んだり、
辞める原因にもなっています。
*他人からの非難を
異常に怖れること。
*自分が非難されていると
勝手に思い込むこと。
これの行き着く先は、
自分だけが、どんどんと
落ち目になっていくだけの
大損となります。
その頃には、
相手は言った悪口すら
忘れており、もう関係がありません。
他人の悪口を異常に怖れた結果が、
いつの間にか自分自身が
他人を呪うような人になっていた
ということにもなりかねません。
もしこうなれば、
最初に悪口を言った相手よりも、
自分自身のほうが
地獄に行く可能性も出てしまいます。
必ず死んで行く人間とは、
誰もが弱い、はかない存在なのです。
だから他人を非難する人とは、
その人も弱いからこそ、
他人を非難するわけです。
そこで、もし自分が
他人からの悪口で苦しむならば、
*どうして自分は、
他人からの悪口を気にするのだろうか?
*自分の良心に
恥じることがなければ、
何も心配する必要はない。
*もし反省点が自分にあれば、
素直に反省しよう。
このような視点を
参考にして欲しいものです。
*他人からの悪口を心配すれば、
損をするのは自分だけ。
これを忘れないことを
参考にしていただければ幸いです。
「柔訳 釈尊の教え 第ニ巻」
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お客様の声
君津本店
●「修理もやっていただけるんです
か?」と、裾上げのパンツをクリー
ニングと一緒にお預かりしました。
(50代 女性)
伊勢丹新宿店メンズ館
★綿のロングコート(バーバリー・
ベージュ)の首回りのシミをとても
気にされていましたが、シミも取れ
てキレイな仕上がりに驚かれていま
した。伊勢丹尾スタッフさんで、「
また、利用させてください。」と、
お言葉をいただきました。
(30代 男性)
阪急メンズ東京
●アクアスキュータムのトレンチコ
ートをクリーニングに出したいとい
うお客様よりお問い合わせがありま
した。