寒さや暑さにさらされること。
飢餓感や喉の渇きに
責められること。
強風に吹かれ、
日光に照りつけられること。
蚊に血を吸われ、
蛇に身体の上を這われること。
これらすべてに耐えて克服しなさい。
そして、どんな交わり、
集団の中に自分がいましても、
自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで一本角が立つ
サイのように一人で歩みなさい。
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第三節-五十二番]
これを現代社会に置き換えますと、
寒さや暑さ⋯⋯家庭や会社の中で、
自分が置かれる精神的な環境。
飢餓感や喉の渇き⋯⋯自分の収入・財産の有無。
強風や日光⋯⋯他人からの風当たり。
蚊や蛇の害⋯⋯他人から心身を害されること。
このように言い換えることが可能に感じます。
二千五百年前に人間の生死を左右した問題は、
現代ではそれを克服する環境にあるために、
現代社会に合わせて言い換える必要があります。
釈尊がこの項で言われた最初の示唆は、
どの時代でも言い換えることが可能になる例えです。
その本質の意味を継承することが可能になるように、
予見されて使用されていることを感じます。
釈尊は、未来の時代に合わせて
言い換えられることまでを
知っていたと思われます。
やはり釈尊が使用された言葉は、
一見は平易な言葉に思われましても、
一切のムダがない深い意味が込められています。
二千五百年前の環境では、
自然界におけます四つの困難により、
やはり多くの人が死んでいると思います。
しかし現代でも、前記の四つの社会問題により、
自殺する人が後を絶ちません。
大昔の大自然による死=
今の社会問題による自殺死。
つまり、どの時代におきましても
人が死ぬ問題が必ず存在し、
その原因だけが変わっていくと言えます。
では、今から二千五百年後の未来社会では、
人類は何により死んでいくのでしょうか?
おそらくガンなどは完全に克服されており、
病気で死ぬことがなくなっていることでしょう。
でも必ず、未来には未来における何かで
死ぬ問題が存在していると思います。
それは意外にも、
*他人のためになることを、
一定期間内にしないと死ぬ病気。
*他人に愛情や思いやりを出さないと、
自分が死んでしまう病気。
*何かを育てないと、
自分が死ぬ病気。
つまりガンやウイルスなどで
人が死ぬ時代は終わっており、
「他人への奉仕の有無」
「心の問題」で生死が決まる時代が来ると、
私は感じます。
人が神仏に向かって進化するとは、
こういうことではないかと感じます。
神仏はいつの時代でも、
育てる一方の存在です。
ただし、どの時代にも未来社会にも
貫徹する最高の思いは、
「感謝をする気持ち」、
これであると私は信じています。
未来社会では、
いったい人は何によって死んでいくのか?
最終的にはアノ世が消えて、
コノ世だけになるために不死に至るのか?
これを想像するだけでも、
人が長く大きな視点を持てるためのヒント、
人が今の時代をより良く生きるための
ヒントがあると感じます。
「柔訳 釈尊の教え 第一巻」
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お客様の声
君津本店
★「カレンダーもらいに来ました。
あってよかったー。ありがとう。」
と、カレンダーファンの方は皆さん
明るい、元気な方が多いです。70代
の女性ですが、「娘がファンなんで
す。」と。
木更津店
●午後から品物を出しにきてくれま
した。午前中は、お持ち帰りの方が
多かったです。
伊勢丹新宿店メンズ館
★ウールのロングコートをご自身で
洗濯され、前身頃も後も袖もかなり
型崩れしていました。お客様も、も
うダメ(元には戻らない)だと思っ
ていましたが、こんなに元通りにキ
レイになってうれしい!と、すぐに
着用されて、着た感じもよいですね
。と、大変お喜びでした。
(40代 女性)