社会で自分が生きた軌跡がない、
つまり世間で働いたこともなしに
自分の外見ばかりを気にする人は、
それは道徳(真理)に生きる人ではありません。
多くの人々は、欲望で汚れることを楽しみとしますが、
完成した人間は、欲望を満たす娯楽では楽しめなくなります。
コノ世で現れる現象
(家族・仕事・人間関係・家・病気・事件⋯⋯)
のすべてが、永遠に存続することは有り得ません。
どれもが必ず終わって行きます。
だから真理に目覚めた人々は、
あわてることがありません。
どんなことも必ず終わって行くからです。
[原始仏典『ダンマパダ』
第十八章-二百五十四・二百五十五番]
この項の表現を違う言い方に変えますと、
*社会で自分が生きた痕跡が大切なのですよ。
どんなに失敗しようが、
他人から罵倒されようが、
仕事の退職を繰り返そうが、
その自分が苦しんだ、楽しんだ、喜怒哀楽を
他人との間で刻んだ経験こそが、
すでに真理(道徳)の中で自分が生きた痕跡なのです。
自分の外見や他人からの評価なんか関係ないのです。
*人間はダメだとされることを、
おこなうことに余計に快感を覚えるものです。
不倫・ギャンブル・喧嘩・盗み・過食・ドラッグ⋯⋯
ダメだとされることほど快楽を覚えます。
でも、真理(真の愛情)に目覚めた人は、
そのようなことを快感とは思えずに、
逆に悲しみを覚えるのです。
そこに他者への「愛情」がないからです。
*どんなことにも深く悩むな。
だって、それは必ず百パーセント終わって行くことだから。
この項はハッキリ言いまして、
仏教学者が訳すには難しいことでしょう。
変な訳になると思います。
でも、真理を体験していれば、
これほど素晴らしい釈尊の言葉はありません。
まさにコノ世のすべてが込められた項です。
私たちは、必ず終わって「行く(逝く)」物事に対して、
執着をして喜怒哀楽をしています。
心を傷めるほど悩んでいます。
変だと思いませんか?
必ず消えてしまうことに、真剣になっています。
消えて行く途中の「流れ・過程」を、
自分でつかもうとしています。
冷静に考えますと、
その流れ・過程をつかめるわけがないのです。
私たちは空気を持とうとして
真剣に悩んでいるのと同じなのです。
では、消えて行く物事(家族・仕事・人間関係・家・病気・事件⋯⋯)に
真剣にならないでもよいのでしょうか?
それは違うのです。
それらが「消えて行くからこそ」、
ものの哀れ・悲哀・愛情を持って
真剣に挑戦するべきなのです。
その代わりに、「悩むな」、「苦しいと感じなくてもよい」
ということなのです。
むしろ、それこそがほんとうの楽しみであり、
楽しむべきことなのがコノ世であり、
それが真理なのです。
*コノ世のすべてが必ず終わって
行くことばかりですから、
自分の心を傷めるほど
悩んではいけないということ。
*むしろ、そういう経験も楽しむということ。
コノ世だけの貴重な経験であること。
*苦しいことも必ず終わって消えて行くからこそ、
それも哀れに思って愛情の視点を持つこと。
このようなことが大切です。
今が苦しい人も大丈夫なのです。
それこそが生きている今だけの貴重な経験です。
悟った人とは、それも楽しめる人のことです。
今の自分に苦しみや悩みがありましても、
それすらも真から楽しめれば、
それはすでに悟っています。
コノ世は、意外と単純な世界でもあるのです。
「柔訳 釈尊の言葉 第二巻」
著:谷川 太一より抜粋転載
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日々真剣勝負!!
クリーニングのお勉強
●シルクウールパンツを
クリーニングに出したのですが、
膝の裏地のシワが残り取れていません。
これはクリーニングの仕上げが
悪いからこうなったのでしょうか?
シルク製品の場合、
裏地のシワも表地に当たりが出て醜いものです。
裏地のシワをきっちりと伸ばしてから
プレスすべきで、ご質問の通り、
これは仕上げ不良といえます。
やり直してもらってください。
「Q&A クリーニングクレーム120」
著:澤 浩平 より抜粋
※パンツを綺麗に仕上げるには、ま
ず、裏側から、ウエスト周り、ポケ
ット袋、前身とお尻、両足の裏地と
、順番に裏側からアイロンをかけて
きれいに伸ばしてから、表に返して
タックやクリースラインを入れます
。表からだけのプレスだと、どうし
ても裏地にシワができて、そのシワ
の凹凸が、表に当たりになって出て
しまいます。
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お客様の声
君津本店
●ボールペンのシミが取れ、「仕事
の制服なので助かりました。ありが
とうございます。」と、喜んでいた
だきました。
伊勢丹新宿店メンズ館
●シミ抜きがよく出来ていて、スー
ツの仕上がりの形も気に入ったとお
喜びでした。