最低限の道徳観(エチケット)もなく、
ウソを普通につき、
アノ世の存在を信じない人は、
どんな悪行でもすることが可能です。
[原始仏典『ダンマパダ』 第十三章―百七十六番]
アノ世の存在を信じていない人でも、
立派な御方は無数におられます。
しかし、そのような御方は、
*道徳観のある人であること。
*ウソをつかない人であること。
この二点を持つ人であります。
エチケットの配慮もない、
ウソも平気でつく、
そしてアノ世はないと思っている。
そして、人は死ねば終わりであり、
すべてがチャラ(帳消し・ムダ)となり、
ヤッタ者が勝ちと思っている人は、
自分の欲望のままの行為をすることでしょう。
それが悪行でありましても、
それをやめる理由(ことわり)がないのです。
まさに釈尊がおっしゃるとおり、
「どんな悪行でもすることが可能」です。
このように考えますと、
人は自分が悪事をしない「理由」(ことわり、お断りでもある)が"あること"、
"持つこと"とは、とても大切な因子です。
それは人によっては仕事なのか、
子どもや家族のためなのか、
金のためなのか⋯⋯、
とにかく悪事をしない理由を持っていることが大切です。
でも、もしそのような悪事をしない理由がなくなれば、
その人はどうなるのか?という問題があります。
その人は、怖いもの知らずの自暴自棄になるかも知れません。
家族も仕事も財産も、すべてを失い
自分にはもう失うものがないと思った時、
人はわからないものです。
この時に初めて、
その人の本性(良心)の発露具合がカギになります。
その人が、アノ世の存在と、
死後の継続を信じているか否か?
が問題になります。
信心とは、信仰とは、
いろいろな種類や内容がありますが、
ただ単純に「アノ世の存在を信じるか否か?」が、
ほんとうの信仰の原点だと思います。
この項で釈尊が、
わざわざ「アノ世の存在を信じない人」
という表現をしていることは意味が大きいのです。
やはり、自分には何もなくても、
アノ世の存在を素直に信じている人でありましょう。
先に死んだ親も兄弟も、
好きなアノ人も多くの先祖たちも、
みんながアノ世で自分のことを見ていると思うだけでも、
恥ずかしいことや悪いことをする気持ちが失せます。
アノ世の実在を信じることが、
自分の悪事を止めてくれます。
ほんとうの信仰とは、
この程度がちょうど良いのです。
これで十分なのです。
あとはその先に、
自分が右胸に創造神という最高神(内在神)を
預かりながら生きていることを
自分で「確信」できれば最高です。
これはもう、その先は何もない、
すべての究極であり悟りなのです。
人がコノ世に生まれて来る最高の目的なのです。
今日も自分の先祖たちに感謝をして、
自分の右胸の存在に感謝を向けてみましょう。
この継続は自分自身を悪事から遠ざけてくれて、
「自分にとっての」最善へと向かわせます。
ただし、自分ができる生活への
努力をしていることが必要最低条件です。
さあ、右胸の大いなる実在へ、
行け行け、帰れ帰れ!
「柔訳 釈尊の言葉」
著:谷川 太一
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クリーニングのお勉強
●背の部分をビニルコーティングした
ライダージャケットをクリーニングに出したところ、
コーティングがはがれて戻ってきました。
これはクリーニング店が弁償してくれるのでしょうか?
ビニルコーティングに使われているものを、
合成樹脂といった言い方をするときがありますが、
最近はほとんどの場合がポリウレタンです。
コーティングがはがれるのは
ポリウレタンの経時劣化が原因ですが、
クリーニングをした後に
それが顕著に表れる場合があります。
経時劣化による責任は
クリーニング店にあるわけではありませんから、
弁償しなければいけない問題ではありません。
こういった衣服は、
クリーニングに出す時の見極めが難しい商品ですので、
クリーニング店と双方で十分点検、
確認したうえで依頼しましょう。
ご自身も買う時は品質表示などをよく確認すること。
また着用しない季節でも、
ときどき点検するようにしましょう。
衣服は着ている間よりも、
保管中に傷むことが多いので、
保管中の環境に注意し、
時々点検するようにしましょう。
「Q&A クリーニングクレーム120」
著:澤 浩平 より抜粋
※見た感じは特に問題のなさそうな
ポリウレタンコーティングのジャン
バーを水で手洗いしたところ、特に
剥がれる様子もなく、大丈夫だと思
って軽く脱水してハンガーに掛けた
ところ、水の重みでポリウレタンが
下に引っ張られ、まず、両肩の上側
が破れ、続いて、袖、身頃とヒビが
入って行って、全体がビリビリに破
れてしまったことがあります。ポリ
ウレタンコーティングを扱う時は、
見た目に関わらず、リスクの覚悟は
必用です。
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