ある人々の魂(心)は、
転生して再び人の胎児に宿ります。
悪行をした人々は、地獄に落ちます。
普通に生きて善行もした人々は、天に入ります。
心が清い人々は、
完全なる癒やしの世界
(涅槃、極楽)へと入ります。
[原始仏典『ダンマパダ』
第九章 ―百二十六番]
この項は、
釈尊の言葉としては珍しい文章です。
非常に少ない部類の内容だと思います。
ここでは釈尊が、
輪廻転生(生まれ変わり)が
存在することをハッキリと
認めております。
また、その魂(心)に応じて、
地獄と天界に行き先が
分かれることを明記しています。
さらには、完全なる調和と
癒やしの世界である
極楽の世界が存在することを、
宣言しています。
よく考えてみますとコノ世には、
地獄も、普通の社会も、
人に応じた天国もハッキリと存在しています。
これがアノ世では分かれていない、
と思うほうが無理があります。
やはり自然の法則から見ましても、
アノ世も千差万別であるべきなのが
ほんとうです。
ではアノ世もコノ世も
世界は永遠に分かれたままなのか?
と言いますと、これも違うのです。
コノ世は三次元の世界だと言われています。
三次元では自他の区別が明確にあります。
つまり細かい分離が存在します。
これが四次元・五次元と
上がっていくほど薄れて、
個々の存在は統合されていき、
最高次元の十一次元の視点では
分離がなくなっているのです。
一つなる存在しかありません。
私の記憶と感覚では、
七次元ぐらいまでが
個性を残すギリギリの世界だと感じます。
それから先は、
急速に一つなる存在へと
収束していきます。
そのために、
釈尊が十一次元の視点から述べた言葉は、
天上天下唯我独尊
(一つなるエネルギー体が在るだけ)、
一つなる身体の内側=完全なる無、
人間は生まれたことも死んだこともなく、
死後も生まれ変わりもない⋯⋯
という感じの発言になります。
しかし、四次元から下の視点では、
釈尊はこの項のような発言をしています。
つまり、釈尊という
同一人物の発言でありましても、
その時の釈尊の視点の次元と、
聞く人の心の次元により
真逆の言葉と内容になっています。
これを後世の人々が解釈しますと、
釈尊の言葉が矛盾していると思われますが、
見る視点の次元を考慮しますと、
やはり釈尊の言葉は
どれも真実であり素晴らしいのです。
だから、私たちがコノ世を去りますと、
このような分離した世界での
「自分の行き先」の選別を受けるということは
知っておいたほうがよいです。
このことを知るだけでも
コノ世の生き方が、今から変わります。
結局は、コノ世での逃げ得や、ウマイことする、
ということ「こそ」が幻想なのです。
アノ世では一切の帳尻が
一厘まで合わされます。
だから逆に、
コノ世では帳尻が合わなくてもよいのです。
他人を見ては悩むこともないのです。
正しい他人を見た時は、
少しうらやましいと思うぐらいがよいのです。
悪人を見て悩まずに、
善人を見て影響される自分でいれば大丈夫です。
釈尊が次元を変えた視点からの
発言をしていますように、
今に生きる私たちも、
自分が苦しい時ほど、
*見る視点を変えること。
*少しでも大きな全体の視点から見ること。
*十年後の自分、家族を考える視点から見ること。
を参考にしてください。
これだけでも今の悩みが和らぎ、
選択の判断ができることが可能となります。
「柔訳 釈尊の言葉」
著:谷川 太一より抜粋転載
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お客様の言葉
君津本店
★20代・男性
スラックスの裾回りや、全体的な汚れでシミ抜き
に出されていたお客様がお受け取りに来られ、
見た瞬間、「おっっ!!」という声が出て、
すぐに「ありがとうゴザイマス!!」と大変喜んで
下さいました。
クリーニングのお勉強
●1年前に買ったシルクのパーティードレスですが、
着用後、洋服ダンスに収納しておいたら、
肩や袖、背中など部分的に
うっすらとベージュに変色していました。
洋服ダンスの中でも変色することがあるのですか?
種類にもよりますが、
防虫剤で衣類が変色することもあります。
シルク製品の染色は、
一般的に動物繊維用の染料で染めるため、
簡単に変色することは考えにくいのですが、
化学薬品の防虫剤に反応して、
変色したのかもしれませんね。
また香水を付けて着用しませんでしたか?
肩や袖や背中など変色の部位が特定されていることから、
香水による変色も考えられるのです。
体質によっては汗成分と香水が反応して、
衣服を変色させることもあるのです。
一方、長期間、夏場の厳しい暑さや、
梅雨を経てきたのであれば、
湿度や温度の変化によって
変色が促進し、
経時劣化が進んだのかもしれません。
「Q&A クリーニングクレーム120」
著:澤 浩平 より抜粋
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