ひとかかえもある大木も、
毛先ほどの木の芽から生じます。
九階建ての高い建物も、
ひと盛りの土の基礎から始まり建てられます。
千里の道のりも、
一歩を踏み出すことから始まります。
無理に何かを成し遂げようとする者は失敗します。
何かに執着するものは、
結局それを失うことになります。
聖人は、無理に成し遂げようとはしませんから、
失敗をしません。
聖人は、何かに執着することがありませんので、
失うこともありません。
人々が何かに挑戦する時は、
常にあと少しで成就するというところで失敗します。
最後のところも始めの時と同様に慎重にすれば、
仕事に失敗することはありません。
だからこそ聖人は、
欲望を持たないという欲を持ち、
高価で貴重な財産には目もくれません。
人間が忘れてはいけないことは、
「コノ世では、人間は何も実際には持つことができない」
ということだと感じます。
ただ、何かを「獅かる」ことが、
人間には許されていると思います。
家族や土地、仕事、自分の肉体をも。
自分の持ち物ではなくて、
大いなる存在から預かっていると考えますと、
自分の視点や執着具合が変わります。
この「預かっている」という考え方は、
昔の古き良き日本人が保有していた感性だと思います。
預かっているのだから、
「愛情をかけて大切にする」
「それが離れることも、受け入れる」
「預かっているのだから、
いつかは、誰か、大いなる存在にお返しをする」。
このような愛情の上での
アッサリとした「覚悟」を感じます。
釈尊が一番言いたかったことも、
「執着するな」でした。
コノ世のすべての苦しみの原因は、
何かに執着することから「始まる」と言われました。
逆に言いますと、
人間は執着しなければ、コノ世は天国にも成り得ます。
このことを老子も、
「自然な流れで生きること=無為自然」
と表現しています。
自分の生活の中で、
変に執着をしないように生きてみましょう。
ただ、執着しない=努力しない、
ではありませんよ。
本当に執着しなければ、
今よりも自然にもっと努力できるのが本当なのです。
執着しない=明るく思いっきり努力して生きる、
なのです。
「柔訳 老子の言葉 写真集」
著:谷川 太一より抜粋転載
お客様の喜びの声
君津本店
●ブランドコースに出されたコート
が、きれいにシミも取れて仕上がっ
て、大変喜んでいただきました。
木更津店
●千葉の方から、わざわざ、水洗い
がいいと言って出しにきてくれます
伊勢丹新宿店メンズ館
●スーツの汚れ、黄ばみが取れて、
「長年の悩みがなくなって良かった
。」と、大変喜んでいただきました
阪急メンズ東京
●昨日届きましたクリーニング品(
スラックス)をお引き取りにご来店
されたお客様、シミ抜きとプレスの
良さに、大変満足されていました。