もし、私に優れた叡智があるならば、
人生を歩いていくにあたり、
心の良心(真理)から外れるおこないだけを
非常に畏れます。
どんな人の人生でも、
本当は凄く平坦であるのが実際なのに、
民衆は近道をしようと思って
自ら難しくて狭い生き方を選択します。
監督すべき官庁が
汚職で非常に汚れているために、
民衆の田畑は荒れて、
米の倉庫は空っぽです。
民衆が苦しんでいるのに、
きらびやかな衣服を着て、
鋭利な剣を腰にさし、
飽きるほどの飲食をして、
有り余る金銭を所有する者がいます。
こういう者たちこそが、
法律からも隠れた真の大盗賊なのです。
人道から外れた真の人で無しなのです。
老子が「人の道から外れたモノ」と呼ぶ
真の悪人たちに対して、
どう思って静観したのかは、
「人生を歩いていくにあたり、
心の良心(真理)から外れるおこないだけを
非常に"畏れます"」
という言葉に現れています。
老子が「畏れる」と言っている、
この意味は重いです。
ここでは言外に、
老子が死後のことに言及していると
私は感じます。
コノ世で栄華を誇りましても必ず終わり、
死後の世界へと旅立つのが人間の宿命です。
コノ世で裁かれなくても、
アノ世にお任せするという
老子の態度を感じます。
私たちも、
他人の悪事や栄華を見て自分の心を痛めずに、
自分自身の良心と向き合いながら
生きていきましょう。
見るべきものは他人の行状ではなくて、
自分自身の良心(内在神)なのです。
もし人類の全員が、
自分自身の良心と向き合った生活をおこないますと、
そこにはお互いを尊重しあえる
浄土の世界が出現していることでしょう。
まずは、
自分一人から始めることなのです。
「柔訳 老子の言葉 写真集」
著:谷川 太一より抜粋転載
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