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「道を尊び得を貴ぶ」3/31(金)

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「道」(父親)が万物(子ども)を生み出し、

「徳」(母親)がそれらを養い育てます。

 

つまり、万物(子ども)としての形(肉体)が

最初に与えられさえすれば、

それは何かの器としての働きを成します。

 

だから、万物は「道」を尊び、

「徳」を貴びます。

 

「道」を尊ぶことと、

「徳」を貴ぶことは、

誰かに命じられなくても

常に自然と誰もがおこないます。

 

だから、「道」が万物を生み出し、

「徳」がそれらを養うことによって、

万物を成長させて育成し、

その形を整えて中身を充実させて、

これらを養育して守護します。

 

しかし、万物を生み出しても、それを所有しません。

万物を成長させても、それを支配しません。

これを「大自然の深い徳」と呼びます。

 

「子どもを懸命に育てましても、

親は子どもに執着してはいけません」

と老子はおっしゃっているように感じます。

まさに現代社会でも言える内容です。

 

つまり、親としては現実界で子どもの器=肉体を

生み出す立派な役目をしたのですから、

子どもが成人したあとは

子どもの人生に任せればよいのです。

また、親子心中などはもってのほかです。

自分には育てられないと子どもを殺すぐらいならば、

児童養護施設に預けるほうが賢明です。

子どもは親の所有物ではないのです。

親の執着を、愛情とカンチガイしてはいけません。

 

老子の場合は、孔子のように

親孝行せよとは言わずに

大自然の道理(自然な流れ)として示唆しています。

考えてみますと、

大自然は人間を食べさせてくれる一方で、

指図をせずに人間の自由にしてくれています。

これをよいことにして人類は、

大自然=良心を破壊しています。

これが現代社会における

親子の刃傷(にんじょう)事件へと転写していると

考えてもよさそうです。

人間は、大自然の環境から離れるほどに、

親子関係が希薄になるようです。

これも悪い意味での道理(自然法則)なのでしょう。

 

どんな親でありましても死別をしますと、

子どもは自分が死ぬまでに親のことを

思い出すものです。

最初は強がっていましても、

自分自身が親の死んだ年齢まで来ますと、

親という存在に関しまして

「わかること」「気づくこと」

「やっと理解できること」が誰にでも起こります。

しかし、昔の人が言うように、

その時はすでに「孝行したい時には親は無し」なのです。

これは、人類が大自然の恩恵に真から気づいた時には、

「大自然はすでに無し」とも言えそうです。

 

人間は神の姿を見たがりますが、

大自然の「色々な姿」こそが神の姿

であるのが真相だと私は感じます。

神は決して一つだけの姿ではなく、

しかし全体ではつながっているので

一つしか存在していません。

 

大自然は懸命に生き物を育てますが、

それを所有しない、それに執着しないとは、

ある意味では手放すことにも執着がないということです。

人類は、これを恐れるべきです。

近年の大気の乱れは、

大自然が人類を手放そうとしているようにも感じます。

人間が生きる間は、

大自然=地球からチャンスを与えられていると思い、

心ある人間だけでも大自然=両親に感謝をしましょう。

 

「柔訳 老子の言葉」

著:谷川太一より抜粋転載

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入園式のために今日広島に帰ります。

卒園式が終わったばかりですが、

もう明日は入園式。

 

入園式出席のために今日の夕方の便で

広島に帰ります。

 

子ども園の子どもたちがお寺の境内で

お花見やってました。

いいねえ・・・。二代目柳桜も咲いて

たなあ・・・。

 

お客様の言葉

君津本店

★「学生服出し忘れました・・また゛間に合い

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