コノ世は不幸だ、
最悪で理不尽で不公平な世界だと思ってしまうのも、
コノ世は最高だ、良い世界だと思うのも、
自分の心「境」次第でコロコロと変わるのが
コノ世の真相なのです。
同じ光景を見ていましても、
ある人には良いことに思え、
別の人には悪に映るのです。
この光景の実態の真相は、
善でも悪でもなくて、見ている人が決めます。
だから、自分の心の「鏡」に何を映すかによって、
コノ世は善にも悪にも見えるのです。
私たちは、すでに存在する絶対的な世界や物を
見ていると思い込んでいますが、それが違うのです。
見るモノを「選択」する自分自身が主役であり、
自分の選択で常に変化する世界がコノ世だったのです。
近年の量子物理学が、
観測者の視点で実験結果が変化してしまうという
矛盾にやっと気づいたのは、まさにこのことなのです。
しかし老子は、すでに二千五百年前に看破していたのです。
「だから私の周りは、善人ばかりとなります」
「だから私の周りは、信頼できる人ばかりとなります」
このように、自分の思い一つで、
自分の周りには良い人ばかりとなります。
しかし、「でも隣に住む迷惑な住人を、
良い人だと受け入れることはできないし、
そうすべきではないと思う」というような
現実問題がコノ世には色々とあります。
どうすればよいのでしょうか?
①法的にできる対応を含めて、冷静に色んな対応をして
「距離を置いて」静観すること。
②相手の良い点はないか?という視点を持ちながら静観すること。
③一番の大事は、そのために自分の心までを絶対に傷めないこと。
コノ世に生きていれば、色んな価値観の相克から、
様々な様相が出現します。
しかし、その中でも何を「見つめる」のかは、
自分が「選択」できるのです。
生きることが苦しい人は、
何を見ましても「その中に」苦しさしか見つめません。
しかし、どんな中にも幸福を見ることができるハズなのです。
どんな場合でも、
「生きているだけで有り難い」という原点まで
視点を落としますと大丈夫です。
必ず変わっていきます。
この章の最後に、
聖人はどんな他人も物事も
「良い解釈」「全肯定」だけしか絶対にしませんので、
周りの人々は安心して警戒心を解くと言っています。
だから、悪口を言う人間は、
誰からも警戒されて孤独になっていきます。
人間は、何事も良い解釈・全肯定を徹底して生きていけば、
コノ世が浄土に見えるのも真実なのです。
同じ生きるならば、
このほうがお得(徳)です。
他人や運命などは関係なく、
すべては自分次第なのです。
一日のうちに何度も何度もこの真実を
思い出し、自らに宿る仏様と
安心して一生懸命「自利利他円満」
の行動をしていきましょう。
そうすれば
自分も周りも良くなるばかりです。
すべては自分次第です。
間違いないです。
「柔訳 老子の言葉」
著:谷川 太一 より抜粋転載
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お客様の言葉
君津本店
★40代、女性
「綺麗にしてもらって有難うございます」と、
白地のパンツと白地のスカートを出された40代
のお客様。「一杯持ってきちゃったよ!!」と、
セーター類だけでも20点近く全て保管でお預かり
しました。
木更津店
●「今年もよろしくお願いします」と、保管の
お客様がお洋服を沢山持って来られています。