「良い志を持ち継続した努力を続ける」
今日も当たり前のように男性陣は仕事をしていますし、
総合受付の女性たちもカルテ作成や振り分けや出荷を担当して仕事をしています。
ドジなところもあるけど、
相変わらず当たり前のようによくやるなあ・・。
「良い志を持ち継続した努力をする」
そんなこを自分では意識していなくても、
なんとなく「人が喜んでくれるから」というお人よし的な「気持ち」があるからできることです。
その結果として、
感謝のお礼として思わぬお菓子をお客様から送られてきたり、
喜びと感謝のお電話やメールをいただいたり、
わざわざ君津本店まで東京から車でお越しになって下さったり、
そういう瞬間「ああ、やっていてよかった・・」と、自分の心がとても喜びます。
そして、また「頑張ろう」という意欲が湧いてきます。
それが「良い志」に育ってられていきます。
自分の心、
つまり自分の良心(自分だけの喜びだけでなく他のためをも考える気持ち)の喜こぶことじゃないと日曜祭日、
義務じゃあ仕事は続きません。
ただただ、
何か大切な私用がない限り、無意識ですが品物を待っているお客さんの期待に応えようとして頑張っています。
本人たちは自覚はなくても
それが「良い志を持ち継続した努力を継続する」ということですね。
そういう生き方をしていれば自然と幸せが後からついてくるし、
何かあっても私みたいな情の強い人間が物心共に応援しようとするものです。
しかし、
自分だけの私的な幸福感だけを追求していく場合は
その人の自己満足は得ても応援はしようという気は起こりません。
現在、男性陣は私と一緒に毎日筋トレを行っていますが、
最初はダイエットや健康増進、そしてカッコイイ肉体など、ちょっと不純な動機も入りますが、
結果的に体力や持続力や集中力が増して良い仕事が出来るようになれば、
まさに筋トレが人の為になっています。
なによりも、
私たちは息の長い生涯現役の仕事を目指していますから、
心身共に「元気」で「明るく」仕事が出来れば、その元気な気がお客様の元にクリーニング品として届けられていきます。
そういう人生を送れば、
どれほど自分の人生が感謝と共に生き生きとしたものになるのでしょうか。
常にこの「要」の部分を意識していくことが必要です。
なぜ、こういった恵まれたことが自分たちには与えられているのかということを。
これからの人生はこういう生き方のできる人の免疫力や運命を大きく変えていくと思います。
話は変わりますが、
昨日、久々に地元のお寺の総代さんと話をしていてその総代さんが「住職長生きしてよ」
と言ってくれた言葉がとても心に残りました。
私は地元にはおりませんが、お寺という組織の「要」として存在していることに意味がある、ということを伝えたかったのだと思います。これはすべて私が関わっている「組織」についてそうなのだと思いました。
何もないときは私のような人間は別にいなくてもいいのです。みんなで楽しくやっておいてくれば。しかし何かあったとき、問題や大きな判断基準が必要な時、リスクのある意思決定をしていく「要」がいないと、みんなバラバラになってしまいます。リーダーの役割ってみんなそうです。
そして何もないときは、元気で頑張って仕事をしておれば、近くの人へも、遠くにいても周りの人たちに元気や明るさを与えることができるのです。
だからこそ、先祖から借りている最近自分の身体を意識して大切にしていくようになりました。
これからは20代、30代でも老人の様に生気がなく見える人もいれば、70代、80代でも若者のように心身が若く見える人が現れてくる世の中だと聞きます。
そういう人はやはり何かにつけて感謝があるし、心身共に生き生きと生きようと頑張って自分を育てていっています。
自分のためだけにやっていることは何故か失敗して老化を促し、自他、特に他人が喜ぶことをやっている人は安心を得て喜びと共に若返っていく、こういった法則がこの世には厳然とあります。それがこのコロナではっきりとしてきた、そう実感しています。
「良い志を持ち継続した努力を続ける」喜んで与えられた仕事を精一杯楽しくやらせていただきましょう。