私たちは自分自身の外に在るモノを見たり、
経験したり、欲しがったりしています。
とこが、他の人間は、また違うその人だけ
の外のモノに興味を持って奮闘しています。
人によって欲しいモノがコロコロ変わる
ような外の存在に、はたして人間が追求
するべき「永遠なるモノ」が存在するので
しょうか?
外の知識を得ることは大切です。しかし、
それは自分自身の知るための予備知識に
過ぎないことを知っておくべきなのです。
あくまでも人命の最終目標は、自分自身
を知ることなのです。この大目標を持た
ずに外の知識・情報に頼ることと、
あくまでも自分自身を知るための予備
知識だという認識で外に在るものを見る
ので、その知識に対する受け取り方や
冷静さが違います。
人間は、自分自身(魂)を知るために生ま
れて来たということを知るだけでも外
の色んなモノに執着して縛られていた
クサリが段々と解かれていくことでし
ょう。
この世の喜怒哀楽は、自分自身を知る
ために存在して「くれている」のだと
考えますと、嫌いな人物や苦しいこと
に対しましても、違う視点を持てる
のではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・