大きな岩石は、
風が吹いても揺れることがありません。
本当に賢い人も同様に、他人からの非難する言葉と、
褒め言葉に動かされることがありません。
深淵なる静かな湖は、よく澄んで透き通っています。
賢い人は、正しい真理を聞きましても、
それに反発することがなく同様に心が澄んで清らかに成ります。
(原始仏典 ダンマパダ6章-81番・82番)
他人からの一言が、その日、一日中の気分を左右させ、
あるいはその人と会うたびに思い出し、
更には10年後も思い出しているかも知れません。
自分の人生に、他人からの一言を大きく心に響かせていることがあります。
しかし、それを言った人は、その場で忘れていることのほうが多いのです。
忘れるどころか、他人が気にしているとは思いも及ばないのが真相です。
でも、傷つくことを言われた人は、自分の生活と人生に大きな影響を受けて
いるものです。
このことに、大きなムダと自分への損失を感じないでしょうか?
「他人の言葉に一喜一憂させることを止める!」
「そんなことなどどうでもいい!」と、今すぐに誓いましょう。
自分の心に宣言をするのです。
次に82番は、自分の心を腐らせている時とは、
どんな良い言葉にも反発心が起きることです。
中学生の頃を思い出しますと、荒れている生徒の心には、
どんな先生の良い言葉も通じませんでした。
側で聞いていましても、まるでオオカミのように先生に
噛み付いている同級生がいました、笑。
その時の生徒の心は、本当にオオカミだったのでしょう。
だから、良い話を聞いて、素直に同意ができたり、
感動ができたりすることは素晴らしいことなのです。
更には、真理を聞いて、それを聞くだけでも自分の心が安心したり、
清らかな気分に成れる人は、その真理を語った聖人と既に同じ心境
だと思っても良いです。
悪魔や魔物は真理を聞くだけでも、本当に反発して怒りだします。
自分が良い話に「同調」できることが素晴らしいのです。
それに「同調」て゛きる自分も、その時は同じ心境、まさに釈尊と同じような
心境だという証拠なのです。
良心に反する話をうらやましいとか、いいなと思う時の自分には注意しましょう。
それはやはり、悪事や魔物に自分が同調している証拠です。
必ず悪い方向に自分が引かれてことになりやすがちです。
俗的な他人の一言に影響されずに、
良い話に素直に感動できる自分で今日もいましょう。
法を共に学ぶ社員たちが皆さんの心ある投稿を読んで、
「とても気持ちいいです」と言ってます。
この日々の連続が、
自分の運命を最善へと必ず導いていってくれます。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「余暇の考え方」
余暇と言えば、すぐにスキーやゴルフ、
旅行といった日常からの離脱をイメージする。
しかし、それは長い自由時間のうちのほんの一瞬に過ぎない。
余暇が本来の「自由な時間の活動」であるなら、
自分が面白いと思うもの、
意味があると思うものがそのまま余暇になる。
だから、余暇はもっと多様化していいはずだ。
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今日の諺 「百家争鳴(ひゃっかそうめい)」
【意味】
いろいろな立場の学者や文化人たちが、
自由に意見を発表して論争すること。
「百家」はたくさんの学者のこと。
【由来】
一九五六年に提唱された、
中国共産党のスローガン
「百花斉放百家争鳴(ひゃっかせいほうひゃっかそうめい」
(いろいろな意見を戦わせよう)から。
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