愚かな苦行を守る修行者は、
毎月の絶食期間を真面目に守っていましても、
その苦行の恩恵とは道徳をわきまえた
普通の人々の十六分の一にも及びません。
(原始仏典 ダンマパダ第5章-70番)
釈尊こそは、激しい苦行のために餓死寸前まで体験した御方です。
そして釈尊が死を覚悟した瞬間に分かったことは、「苦行では
人間は悟れない」でした。
なんということでしょうか。宗教的な修行の本当の価値とは、
厳しい修行をすることではなくて、道徳を守ることや節制ある
日常生活を生きれることの、崇高な価値に「気づくため」に
あるのかもしれません
深く自分を省みればそれが自分はまったく出来ていない。
そのことを初めて知って、日常生活の中の本当に大切なこと
に「気づける」という逆側からのアプローチがその本質なのです。
人間はダメな体験をしてこそ、
本当に大切な事に目覚めるという傾向があるのです。
昔、グレたり、悪いことをしてきた人間ほど、
後年に真面目に働いてるケースも多々ありますし、
キリスト教や仏教を学んで宗教組織に属することなく社会奉仕
している人たちも数多くいます。
人間は本当の地獄を体験し、真実に目覚めますと、次は逆に日常や
仕事の中に平安とを求め奉仕的な心で仕事に従事するようになったり
します。
苦行で悟れなかった釈尊を悟らせたものは、
道端で餓死しつつある釈尊を見捨てることが出来なかった、
働く女性のスジャータから差し出された「乳がゆ」でした。
スジャータからの「情け」と「愛情」と「思いやり」を受けた時に、
釈尊は初めて悟りました。
普通の女性が、釈尊に悟りの引導を渡したのです。
だから、普通の私たちも、
他人に「情け」「愛情」「思いやり」を掛けたいものです。
その影響を受けた人は、
社会に何かをしてくれるかも知れません。
その恩恵が回りまわって、
いつかは自分も社会から救われるのが因果の法則なのです。
このようなことは、動物にも言えるのです。
過去生で自分が助けた犬や猫が、
今生で自分が他人から助けられる
因果を創っていることも有るのです。
「お前はアノ時の犬君か!」
「そうか寂しさを癒してくれたあの猫ちゃんか!」という
感動の因果の認識は生きる「最中は」
人間にはありませんが、
この世のすべてに因果の「ヒモ付け」が
起こっていることを知っておいてください。
この大宇宙は、動物や他人や色々な材料を使用されて、
私たちに因果の「織物」を織ることをさせて下さっているようです。
出来れば、見栄えがカッコ悪くても良いから、
愛情と慈悲心の有る織物を織りたいものです。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「ごまかさない」
私は田舎育ちなので、周辺の家の情報が
筒抜けといっていいほど伝わってきた。
そうした中で知ったのは、
お金を扱う立場になったときに
ごまかさないような人は必ずある程度まで引き上げられ、
出世しているという事実だ。
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今日の諺 「未来永劫(みらいえいごう)」
【意味】
今から未来までの、いつまでも果てしなく続く、
長い年月のこと。
永久ということ。
「永劫」は、とても長い時間という意味。
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