(独自の訳)
花のような必ず枯れていくモノを集めるのに、
人々は夢中に成っています。
これを集団でしている人々の村を、
大雨がさらっていくように、
必死にモノを集める人々を死が必ず連れ去っていきます。
花のような必ず枯れていくモノを集めるのに夢中な人は
どんな人も自分の望みを満たさないまま、
死神がその人を必ず連れ去ります。
【原始仏典「ダンマパダ」第四章-四十七・四十八番】
「必ず枯れていくモノ」とは若さ・性・お金・支配・権力・・、)
これを個人でも集団(国家)単位でも集めるものに夢中に成ってい
ましても、必ず死が連れ去りムダになるということです。
そして、「必ず枯れていくモノ」への良くとは、どんなモノでも
手に入れる支配者でもキリがなく底なしです。
淡々と必要なモノは、必要な分だけ集めばいい。
その後は、お任せでよいのです。
そして、集めるために必死にならないほど、その
人から死(危険)も遠ざかるということです。
自分なりの努力をしたうえでの「現状が最善」であるということは、
どんな人にもいえて、これは真理です。
いや、人生の中では、集めるために必死に成ることも経験したい!
これも確かに言えます。そういうことに燃える時期もあります。
ただし、その結果に執着しないことが一番大切なのです。
法則的に言いますと、本当に多くを集めることが出来る人とは、
実は集めること、稼ぐことに執着がない人なのです。
投資でも、利益でも、必ず結果を出そうと執着する人は、
必ず負け、結果が思ったようには出せません。
ここにこの世の面白さと、気づきの奥深さがあります。
要するに、良かろうが悪かろうが、今の自分の現状に感謝が、
真のこの世とあの世を貫く勝利者なのです。
因果の昇華の意味でも、現状が悪くても大丈夫です。
ある意味では、それが最高の悪い宿業の昇華と逆に善徳貯金の
チャンスなのです。
悪いことは、そのことによって悪い過去や執着が昇華されて
いっているということです。この世はまったくムダは無いのです。
それを表面的な事象だけでとらえて、落ち込むのはやめましょう。
とにかく真宗の妙好人のように、何があっても気づきを与えて
下さって「ありがたい」なのです。すべてが仏さまのお慈悲の
現われなのです。
ですから、大きな慈悲の仏さまに、そして、先祖へ(遺伝子DN
A)への感謝をいたしましょう。
もうすでに枯れ果てて消えた存在も忘れない態度とは、人間と
しての情緒(思いやり)の極致です。このような情緒のある人こ
そが、あの世では本当に仕合せな状態になれるのです。
苦しく辛い時代を生き抜き「いのち」のバトンをつないでくれ
た多くの先祖の皆さんのために、今に生きる私たちから感謝の
花束を贈りましょう。
このような真摯な態度が、平和と豊かさを私たちにプレゼント
してくれるのです。個人にも、家族にも、国家にもです。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「学問の四つの目標」
「人々個々の世に立ち功を成す所以の
基礎を與(あたう)るところの教育にも、
目的が無くてはならぬ」と露伴はいう。
目的地がなければ出発できないように、
あるいは的がなければ矢を射ることができないように、
目標のない学問は何も生み出さない。
では、学を修めようと思った場合、
どのような目標を掲げればいいのだろうか。
露伴はそれを「正、大、精、深」の四つであるとしている。
さらに、この四つは「身を立て、功を成し、
徳に進まんとするもの」が必ず目標とし、
常に忘れることなく心に抱き、
従っていかなければならないものであるという。
よりよき人生を獲得しようとする人ならば誰でも、
「正、大、精、深」を目標として掲げるべきである。
この四つの目標のもとに歩を進めれば、
必ずや納得のできる人生を送ることができるというのである。
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今日の諺 「真剣勝負(しんけんしょうぶ)」
【意味】
本気で戦うこと。
または、本気で物事にあたること。
【由来】
「真剣」とは、本物の刀剣のこと。
木刀や竹刀とちがって本当に切れる。
真剣で勝負すると、生きるか死ぬかで、
少しも気が抜けないことから。
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