(独自の訳)
自分の肉体とはすぐに消え去る
泡であることをよく自覚して、
自分が影のような
はかない存在であると真から思えたならば、
悪魔が仕向けるサガ(性)という「花」のワナを自ら切断して
死神から遠ざかることが可能に成ります。
【原始仏典「ダンマパダ」第四章ー四十六番】
昔から言われるエピソードに、「自分は○○歳まで絶対に生きる」と
宣言した人は、それよりも早く死ぬことに成るという話があります。
これは、「その年齢までの期間は死を忘れています」宣言でもある
からです。
死を忘れていますと、死は逆に近づいていると釈尊はこの項で述べて
います。つまり、人間とは、いつも今日が最後の日だと思って、明るく
執着なく生き切る人が、気が付けば長生きをしていたという事態になる
のです。
極端な話、今日に自分が死ぬという時に、誰を恨む必要がありましょうか?
もう怒ることもアホらしくなります。怒るどころか、誰にでも感謝の言葉
を思いたくなるものです。もし自分が怒りたいならば、それは自分が
本当に死ぬことをまだ信じていない、自覚できていないからです。
釈尊の教えの重要なテーマに、「明るく死を自覚して生きること」が
何度も出てきます。
これが死神・不幸を遠ざけることになるからです。今日も明るく、
自分がいつか死ぬ存在であることを忘れずに、少しでもよりよく
生きてみましょう。
期間限定ですから「死を前にすれば」、どんなことも大した
問題ではありません。皆さん我良しの思いの自我に騙されています。
これに気づくことが、悟りとも言えます。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人の道徳心
「喜びの効果」
大きな喜びがあると、病人も治ることはよく知られていることです。
また、そうでなくても、すべての点において、
静かにして絶えざる喜びを持つようなことは、
緩やかではあるけれども、
一層永続的な効果を持つものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の諺 「広大無辺(こうだいむへん)」
【意味】
広々として大きく、果てしないこと。
「広大」は広くて大きい、
「無辺」は限りがないという意味。
愛情、知識などが深いときにも使う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・