(独自の訳)
花職人が花だけを
上手に摘み取ることができますように、
学ぶ姿勢を維持する人々こそは、
多くの物事の中から真理の智慧゛ばかり゛を
かき集めることが可能になることでしょう。
【原始仏典「ダンマパダ」第四章-四十五番】
同じ言葉を読みましても、同じ映画を見ましても、
見る人によりそこから得るもの・感じるものは千差万別です。
だから本当の真理の言葉に出会いましても、それが大切だと
思える人と、何とも思えない人とに分かれます。
このことを釈尊は、
*花の職人は、「花だけ」をピンポイントで傷つけずに摘み取る
ことが可能である。
*人は同じ体験をしましても、そこから何かを学ぶ姿勢を持つ者
だけが、大切なエッセンスを身に付けるであう。
とおっしゃっています。
釈尊とはまさに智慧の人であり、
それもただの智慧者ではありません。
それを超えて、逆に理屈の智慧が消えた、
どこまでも透き通るような聡明で、静かな温かい人でした。
真に智慧を超えた御方とは、逆に人間味があり、温かくあり、静かな
愛情と思いやりに溢れる人になるのです。
本当に深い智慧のある人は
勤勉の厳しさや、冷たさから逆に離れるのです。
ですから私たちも、反省している人に対しては、それでも情け心を持つ
こと、それでも慈悲の心をもってあげること、どうしようもない人間の
サガ(性)を毛嫌いするのではなく、自分自身も含めて万人にも言えること
だとして、逃げずに直視してあげることなのです。
しかし、無理に慈悲をかけることは不要です。悪いことは悪いのです。
誰もがこの世から必ず死に至る存在なのです。
釈尊こそは、智慧を超越した上での愛情の塊の人であり、どんな人間の
サガ(性)も、「それでも」なんとか救ってあげたいと思う慈しみの深い人
だったのです。
そのことを思うと、慈しみの深さに胸がキューンとします。
私たちも自分の生活の中で、愛情・思いやり・情け心・慈悲ということを
意識して生きましょう。その継続は、自分も他者からそれを受け取る縁を
創ります。
多くの人間は、誰もが言葉では表現できない飢餓感を持っており、自分を
理解してくれる人を求めているのです。
すべての物事から何かを学び取る姿勢を維持しましょう。そしてできれば、
その中に「愛情、思いやり、情け心、慈悲」という視点を持ちましょう。
人は゛自分が持っている視点の人゛に、その容姿も生活も環境も変化して
いくのです。これは必ずそうなります。
そうすれば誰もが最後には、愛情深い慈しみ深い善き人となっていきます。
今日もより良く生きる智慧を学ばせて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「クヨクヨするな」
どうしても考えこんでしまうときは、
『風、疎竹(そちく)より来たる。
風過ぎて竹、声を留めず。
雁、寒潭(かんたん)を渡る。
雁去って潭、影を留めず』という句を思い出すといい。
これは、竹があってそこに風が吹くと
サーッと音がするけど、風が去ってしまえば、
もう風の声はしない。
雁の群が冬の湖を渡る時、その影が澄んだ湖面にうつる。
しかし雁が去ってしまえば、もう雁の影はない。
つまり、人生においてはいろいろな出来事があるけれども、
それが過ぎ去ったらもうクヨクヨするな、という意味です。
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今日の諺 「一挙両得(いっきょりょうとく)」
【意味】
一つの仕事で二つの利益を得られること。
または、わずかな力で多くの利益を得ること。
「一挙」は一つの動作、
「両得」は二つを得るという意味。
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お客様の声
君津本店
●「二重線がきれいに直っています。ありがとうございます。」
と喜んでくださいました。
ご自分で付けてしまったので、
とても気になっていたとの事でした。
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