思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

未分類

4/10(木)「何かを学び続けようとする姿勢がある限り、人はこの世でもあの世でも自由になれる」

投稿日:

 

「何かを学び続けようとする姿勢がある限り、

    人はこの世でもあの世でも自由になれる」

(独自の訳)

常に何かを学び取ろうとする人は、

その住む土地で自由になり、

そして地獄界と神界とこの世でも自由になることでしょう。

【原始仏典「ダンマパダ」第四章-四十四番】

 

人はこの世に生まれた限りは、良いことも悪いことも、

何があっても常にそこから何かを学ぼうとすれば、その人は

学んだ智慧によって執着から解放されますから、この世でも

あの世でも自由に成れるだろうと釈尊が仰っています。

 

物事の本当の善悪とは、国でも人でも時代でも変わって

いきます。真に大切なことは「そこから何かを学ぼうとする

姿勢」がある限り、人は救われていく、ということなのです。

学問ばかりが勉強ではありません。人生を生きながら様々な

喜怒何らかの哀楽の体験をする中から生まれて来る智慧こそ

が、最大の学びなのです。

 

ただ、この世では痛い思いをしてから分かったのでは手遅れ

のことが多々あります。経験する前に、最悪の事態を想像す

れば事前にわかることがこの世にはあるのです。

 

釈尊はこれを智慧と言い、生きるための智慧を持つために常に

学ぶ姿勢が人には必要なのだとこの項では仰っています。

 

大きな後悔、悲劇、絶望、挫折を経験せずとも、自分に常に

学ぶ姿勢があれば回避できるし、もし経験してもそれを無難に

したり、智慧による気づきによって悪を大きく転じて善と成

すことも可能なのです。

 

このような内容を読んでいる人は、すでに学ぶ姿勢のある

人です。前向きに学ぶ姿勢に好意を持つ自身の良心が味方して

くれて、何事も必ず大丈夫に成っていきます。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本人の道徳心

「物のあわれ」

ひさかたの 光のどけき 春の日に

しづ心なく 花の散るらむ

 

誰もが知っている紀友則の和歌です。

私が大好きなこの歌は、

心が受け身になって、「物のあわれ」を

よく表している名歌です。

「物のあわれ」とは、本居宣長によれば、

「ああ、はれ」と感ずる心ということですが、

おだやかな京の街の晩春の頃、

風ひとつ吹かない。

その時に、咲き誇った桜が、

はらはらと散っていく。

「ああ」という気持ちです。

 

それは春のあわれであり、自然のあわれであるとともに、

人の生命のあわれを象徴しているのですが、

この「ああ」という心、哀惜の心、

慈愛の心が小恍惚につながるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の諺 「適材適所(てきざいてきしょ)」

【意味】

その人の能力などに合わせて、

それぞれにふさわしい仕事や地位につけること。

「材」は人材、「所」は場所、

「適」はあてはまるという意味。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

-未分類

Copyright© 日々是笑日 , 2025 All Rights Reserved Powered by STINGER.