(独自の訳)
他人を憎んでいる人は、その憎い他人に対して、
他人が憎んでいる人が、その憎む他人に対して、
他人が、たとえどんな非道いことを行動でしたとしても、
それと同じようにことも自分もしたいと思っている
人の心とは、その行動以上のことを心中では
しているものだ。
【原始仏典「ダンマパダ」第三章-四十二番】
よく「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉を聞きます。
やはり抑えきれない人間のサガとは悲しいものです。
誰にでも内在するものです。「これと上手く付き合いながら」
人生を進むエネルギーとするのが人間なのです。
人間は悪い行動を実際にするぐらいならば、思いっきり悪い
想像だけで終わらせる方が絶対良いです。
ただし、大切なことは、悪い想像だけでは終わらずに、
実際にそれを行動にすればどんなことになるのかの最悪のすべての
パターンを必ずセットでイメージしておくことなのです。絶対に。
この悪い行動の顛末も必ずセットでリアルに想像しておくことで、
心中を訂正する善のエネルギーが動きます。
悪い行動はせずに想像だけで終わらせて、そして行動した場合の
「最悪の結果も必ずリアルにイメージする」ことがとても大切なのです。
これで悪い思いを昇華して行くのです。
これは国家間の戦争も実は同様です。
森田療法では「悪い感情は放っておけばだんだん収まってくる」という
シンブルな法則があります。悪い感情を理性で抑止するのは無理がある
のは確かです。
だからこそ、とにかく悪事を思う時は、それの最悪の事態のイメージも
必ずセットで思つておくということなのです。つまりそのことで、悪い
感情に深く自己抑止の楔が打ち込まれます。
その自己抑止の楔を打ち込まれたまま(ヤバイと思えば何度も打ち込んでいく)
人生を歩いていけば、いつの間にか事故もなく無難に進んでいるものです。
そして美しく枯れていくのです。
本日はお釈迦様のお誕生をお祝いする「花祭り」です。
お寺の本堂の前に、お釈迦様の誕生仏を囲った小さなお堂の「花御堂」が
白い像の背中に安置され、こども園の園児たちが誕生仏に甘茶をかけて合掌
してお祝いします。その姿はとても微笑ましいです。
そして優しい「仏の子」としてすくすく竹の子のように「強く明るく育って
くれる」ことを心から願う日でもあります。
今日もより良く生きる智慧を与えていただいて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「志の持続②」
なぜできると思ったことができなくなってしまうのか。
それは、親や学校の先生や周囲の大人の影響が強いように思う。
まわりから、「そんな簡単にできるものじゃないぞ」
「世の中はそう甘くないよ」といわれ続けることによって、
自分でも「できない」と思うようになってしまうのである。
だからこそ、志を抱く人にとっては、
ひとりになって自分の心の声を聞く時間を持つことが大切になってくる。
心の中から聞こえてくる声についてよく考え、
自分が本当は何を求めているのかを
常にはっきりさせておかなくてはいけない。
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今日の諺 「唯我独尊(ゆいがどくそん)」
【意味】
この世で自分ほど立派な者はいないということ。
「唯我」は自分だけ、「独尊」は一人だけえらいという意味。
【由来】
お釈迦様が生まれたとき、
生まれてすぐに七歩歩き、
天と地を指さして
「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説から。
本来は、人間の尊厳を表す言葉。
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