「我慢が終わる手前にこそ 最高の喜びが来る」
(独自の訳)
勤勉な生活を楽しみ、
堕落した生活に恐れを抱く者が、
堕落していくことは有り得ません。
その者は″それが”すなわちすでに
涅槃(ニルヴァーナ、絶対安心の心境)の
「手前」にいるのです。
(原始仏典『ダンマパダ』 第二章ー三十二番)
(感想)
悟ればどうなるのか?
悟ればどんな心境になるのかな?
という疑問に対する釈尊の答えがこの項にあります。
非常に重要な悟りの境地の核心が、
この項に描写されています。
簡単すぎる言葉のように見えますが、
これが逆に悟りの真相を描写しています。
子どもの夏休みとは、
一ヶ月ほどだからこそ楽しいのです。
もしこれが半年だったら?
休日のワクワクする感覚が消えて行き、
休みの有り難さも感じなくなっていくでしょう。
大人も規則正しい生活をしているからこそ、
たまにある自由な休日が待ち遠しく楽しいのです。
コノ世の人間のサガ(性)とは、
我慢して我慢が終わる「手前」にこそ~、
最高の喜び(エクスタシー・恍惚)が「来る」のです。
夏休みも期間限定だからこそ真から楽しいし、
逆に楽しめるのです。
そして、人生も期間限定だからこそ、
私たちは喜怒哀楽が「起こる」のです。
頑張ろうと思うのです。
失敗しても、またやり直そうと思えるのです。
もし人間が絶対に死なないロボットのような生き物ならば、
すべての感動は消えて行きます。
大切な何かを守りたい、熱く燃えるドラマも生じません。
消えて行くからこそこのいのちは美しい。
期間限定だからこそワクワク楽しめる。
普段に真面目に勤勉な生活をしているからこそ、
ノンビリした一瞬の休息が、ほんとうに楽しめるのです。
普段が粗食だからこそ、たまのご馳走が美味しいのです。
すなわち、この世は何かを節制し、
我慢をしている状態こそが、
心身共に一番健康的で良い状態であることを知っておいて
下さい、
何かを我慢したり節制することをかっこ悪いとか、
自己嫌悪することをやめましょう。
その「最中・ing」こそが、実はすでに悟りに隣接しているのです。
悟れば、煩悩が滅すれば実は面白くないのが真相だと感じます。
最高の境地は、その「ギリ手前の今に」あるのです。
自分をカッコ悪いと思わずに、
この人生は大いに悩み・悲しみ・怒り⋯⋯そして我慢して、
それでも「生かされていること」「様々な体験ができること」に
感謝をいたしましょう。
そうすれば、これこそが悟りの手前にいる最中であり、
その継続は、「行け行け、進め進め」と
涅槃(大いなる歓喜)の中に自然と入って行くのです。
今日もより良く生きる智慧を学ばせていただいて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
※柔訳「スッタニパータ」や「ダンマパダ」を社員たちや法友たちと
共に学習し続け、仕事や日常生活の中で学んだ智慧を生かして実践
することによって、随分職人気質の頑固な社員たちも組織全体も
変化・成長していきました。
なにより、個々に問題が起こっても物事の本質を見抜いて「有難い」
と感謝できるようになっていきました。
自我の強さゆえに人は悩み苦しむ、それが仏の光に照らされて、氷の
ように溶け、功徳へと転じていきます。本当にそんな感じです。
また、「X」をご覧に成って下さる心ある皆さんから、とても嬉しい
気づきや目覚めの投稿が日々送られてきます。一人でも多くの
皆さんが、釈尊のより良く生きる智慧を学んで頂いて、二度と無い
人生を今まで以上により良く生きて下さればどれほど仏様や神様、
そして多くのご先祖の皆様たちが喜ばれることでしょうか。
皆さんが肉体を持って多くの先祖の皆さんの代表者として、この世を
生きておられることを決して忘れないで下さい。
宜しくお願いします。合 掌
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日本人の道徳心
「プライドを持つ」
品格を保つために最も必要なものは何か。
私は、誇り、プライドだと思う。
品格というものは、「プライドある人間の行為」を指します。
「品格ある人」イコール「プライドある人間の外に表れた形」である、
と定義すると、プライドを持つことが、
すなわち品格のある人間を形づくる核になると言えるでしょう。
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今日の諺 「三三五五(さんさんごご)」
【意味】
人や物があちこちに散らばっている様子。
また、あちらに三人、こちらに五人と、
少人数で集まって行動する様子のこと。
【由来】
李白という、中国の有名な詩人の中で使われた言葉。
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