(独自の訳)
「この世の私たちは、誰もが必ず死ぬ存在である」
ということを覚悟しましょう。
多くの人がこの必然を忘れています。
しかし、私たちがこの「誰もが死ぬ」という真理を思い出せば、
すべての争いは静まっていきます。
(原始仏典 ダンマパダ6番より)
必ず死んでしまう存在であるのに、
アノ世に持っては行けないモノを必死に取り合っているのがコノ世の人間です。
「明るく死というものを」常に自分が忘れなければ、
* 争いを避け、
* 他人に情け深く成れ、
* 少しでも貴重な残り時間を有効に使い、
コノ世を軽やかに楽しむことが出来るのではないでしょうか。
やはり死という誰もが迎えるイベントを、常に「明るく」自覚している生き方と、
完全に忘れて思い上がった生き方では、その人生も変わっていきます。
弱くても良いのです。間違っても良いのです。
ただ、いずれは必ず死ぬということを日々に「明るく」忘れなければ、
その継続により
* 弱くても、出来ることをしておきたい。
* 少しでも自分を正しておきたい。
と、人は思えると感じます。
太陽こそは、朝に生まれて、夕方に死んで行きます。
まさに一日一生(いちにちいっしょう)です。
人間も、心は永遠に生きますが、
先祖から借りている肉体は有限であることを忘れないで居ましょう。
このような心境が、逆に幸運を起こして行きます。
今日もより良き智慧゛を学ばせていただいて有難うございます。
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日本人の道徳心
「貨幣は力」
凡人にとって、経済的な不安があるところに
自由は存在しない。
フランスの実存主義哲学者で、
文学者のジャン・ポール・サルトルなどは、
「貨幣は私の力を表わす」と表現して、
お金の重要さを説いている。
たとえば、今、財布の中に五十万円あるのと、
千円しかないのとでは、
圧倒的に考え方が違ってくる。
買えるものが多ければ、
選択の自由も手にすることができる。
求めるものが買えるとすれば、
金はまさしく〝力″となり、
自由をも左右するのである。
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今日の諺 「暗中模索(あんちゅうもさく)」
【意味】
手がかりがなく、いろいろやってみること。
「暗中」はくらやみの中、
「模索」はもともとは「摸索」で、
手さぐりでさがすという意味。
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