(独自の訳)
「あいつは私を罵倒した。あの人は私に危害をくわえた。
彼は私を打ち負かした。あの人は私から強奪した」
このように自分が他人に対して思う間は、自分から怨念が
消えることはありません。
しかし、このように思わない人からは怨念が消えます。
実はコノ世とは、他人からの怨念に対して同様に怨念で
もって返していますと、その怨念が増幅する世界なのです。
これが更に自他を害します。
だから他人からの怨念に対しては、自分は怨念を持たない
ことで両方の怨念が終息して行きます。
これは絶対的な法則なのです”
(原始仏典 「ダンマパダ」3~5番より)
釈尊は、加害者が作った罪の因果は、それに対して被害者がもし
怨念を持たなければ、その因果は100%加害者に帰りやすく成
るということも示唆しています。
つまり、加害者の罪を軽減していたのは、被害者が持つ怨念だっ
たのです。
だから「最高の反撃方法」とは、相手から何を言われても、
「自分は恨まない」
「決して忘れないが怨念を持たない」
「仕方がない」
「この嫌な気持ちを仏さまにお任せします」
という思いを持ちましょう。
因果の発動とは、思う以上に壮絶で容赦がなく、
すべてのバランスをとるように「因果応報」が起こるものです。
この世の因果のトラブル。
自分の身に何が降りかかろうと
より良い智慧で淡々と対処していきましょう。
法則通りなるようになります。
今日も学ばせていただいて有難うございます。
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日本人の道徳心
「胎教のすすめ」
ダーウィンは、子供は母親のお腹の中にいるときから
教育すべきだ、ということを教えている。
「いつから教育を始めようか」などというのは
とんでもなく暢気な話で、
ある宗教家にいわせると、
それこそ男女の交わりのときに、
すでに「いい子供がうまれるように」と
思わなくてはいけないという。
これは極論ではあるが、
教育を始めるのは早ければ早いほうがいい
ということになるのだろう。
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今日の諺 「因果応報(いんがおうほう)」
【意味】
よい行いをすればよいことがあり、
悪い行いをすれば悪いことがあるということ。
最近は、悪い行いをすれば
報いがあるという意味で使われることが多い。
【由来】
仏教の教えで、前世(過去)での行いが、
現世(今)に現れるということ。
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