(独自の訳)
地上に生きる人々、天空に住まう精霊たち、
神々であれ、人であれ、
同じ場所に存在するという縁の奇跡を尊重して、
神々も精霊も、平等に礼拝します。
そして、すでに存在する、すべてのことに共通している
普遍的な真理を尊重します。
この真理の言葉で、幸せに成れます。
(原始仏典「スッタニパータ」第二章第一節-二百三十七)
「すでに存在する、すべてのことに共通している普遍的な真理を尊重する」
この一文を読んで思い出すことは、禅の永平寺を開いた道元禅師の言葉です。
道元禅師は、宋の天童如浄の下で修業を重ねた結果、一二二五年に師の「心身
脱落」の言葉から、この世のすべてを悟られました。それから二年後。二十八
歳の時に日本に帰国されました。
思い返せば、遠い異国の国に、仏法と呼ぶような教えが「これだ」とあるわけ
では無かった。ただしばらく、留学の時間を過ごしただけだった。
私が学んだことは、わざわざ命がけで遠い国で悟ったことは、
太陽は朝に東から昇り、夜には西に沈んでいく、ということだった。
つまり道元禅師が落ちた悟りの中身は、
*目は横に並び、鼻は縦に、顔に付いている。
*太陽は朝に東から昇り、夜には西に沈んでいる。
この再発見、当たり前のことに、道元さんは感動に打ち震えたと「永平広録」
に記されておられます。
なんと釈尊が言われた内容と同じなのです。
それが、この項の
「すでに存在する、すべてのことに共通している普遍的な真理を尊重する」
これと一致します。
つまり人間は何か思う通りにならないことがあると、すべてに曲解を始め、
楽そうな裏を探し始めます。すると、大切なことからドンドン離れていく
のです。
悟りも同じなのです。
修行しても、悟れない・何も分からない・変われないものなのです。
決して
特別な人になれるわけではありません。すると、どんどん奇異なことを求め
始めます。最終的には、真の悟りから遠く離れて魔境に入り、金儲けのナリ
ワイをする人が多いのです。
家庭の主婦も、お金が無いからと思って、「家族、子どもの為に」と夜のお酒
の世界で働き始めれば、どうなるパータンになってしまうのか?お金で誘惑する
様々な好色男が客として来ます。
一年後には、その大切な家庭自体が壊れてしまっているかも知れません。なんの
ための深夜労働だったのか?どんなに貧乏でも、母親と過ごすほうか゛子ども
には嬉しかったのに。すでにある家庭を貧乏ながら大切にすることだったの
です。
道元さんの話から、
*悟りを求めないことが、悟りだった。
*当たり前なことを、心から大切にすること。
釈尊からも、
*すでに存在する、すべてのことに共通している普遍的な真理を尊重すること。
*すでにある当たり前の物事こそを、大切にすること。
このような視点を常に忘れず。自分の生活の中の「当たり前の物事」を見て
いっていただけば幸いです。
今日もより良く生きる智慧を学ばせていただいて有難うございます。
※「普遍的」とは、すべてのものに当てはまることを指し、 時代や場所を超
えて、変わらずに当てはまる性質や価値観 など。
※「真理」確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤
りなく認識されたことのあり方。真実とも。
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日本人の道徳心
「良妻賢母」
いい奥さんを持った人は、
どこか子供っぽいと思う。
そしていい女というのは、
どこか母親っぽい。
いい女は女房兼母親の役割を果たすので、
亭主は必然的に子供っぽくなるのかも知れません。
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今日の諺 「千差万別(せんさばんべつ)」
【意味】
とてもさまざまなものがあって、
それぞれがちがうこと。
「千」「万」は数がとても多いこと、
「差」「別」はちがいという意味。
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