「お浄土はつねにわたしの背後にある」
(独自の訳)
地上に生きる人々、天空に住まう精霊たち、
神々であれ、人であれ、
同じ場所に存在するという縁の奇跡を尊重して、
神々も精霊も人も、平等に礼拝します。
この真理の言葉で、幸せに成れます。
(原始仏典「スッタニパータ」第2章第1節-236)
私が文章の中から感じたことは、「地球」への礼拝が本意だということです。
この地上世界には、人も、動物も、そして精霊や神々という存在も居ることが、
この項では認められています。
仏教の古代原典が、神々と精霊の存在を認めています。
そういう様々な存在が共存するという奇跡の場所(地球)の中で、叡智を得ること
の難しさと、「その中であっても叡智を得た」釈尊という存在が礼拝に値する
ことが書かれた項だと私は解釈します。
この世だけが、地獄から来た人も、浄土から生まれた人も、同じ場所で暮らすと
いう特種な世界なのです。あの世では、これが完全に分かれていきますから、会
うことも不可能に成ります。
善悪が存在するこの世の世界の中でも、釈尊は叡智を得られました。
これが礼拝に値するという意味です。
そして、このような人の善悪が混在し、精霊も、神々も、混在する特殊な場所で
あるのが地球なのです。生きている今だけ体験できる地球なのです。
あの世は、似た者同士が集まる世界です。
今世での生き方の内容から完全に公平に平等に分離が起こり、自分と似た者同士
だけで居るうちに、自分という者の正体を思い知り、深い慙愧が起こってきます。
*今の自分は、自分とよく似た人同士で暮らせる自分なのか?
*それでも良いと思える、今の自分なのか?
*それとも絶対に嫌なのか?
*それは、何故なのか?
たまには、これを思い出していただければと思います。
皆様の参考になれば幸せです。
※「お浄土はつねにわたしの背後にある」川上清吉
今現に仏さまにささえられていることを喜び、お浄土の真っ只中を大安心と共に
一生懸命生きていく。ちょうど、子どもが、後ろにお母さんついてくれているよ
うに。この世を去れば、その大安心の世界に疑いなく生まれていきます。
そして、すぐにこの世へ遊びに還って来ます。
(柔訳 釈尊の教え 第三巻 原始仏典『スッタニパータ』)より抜粋転載
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日本人の道徳心
「古人の交際術」
古人も交際に関していろいろな説を唱えているが、
その中でも司馬温公が
「妄語せざるより始む」といったのが
最も的を射ていると渋沢栄一はいう。
嘘をつかず、真摯な心で接することが
必要だというわけである。
また孔子は「老者はこれを安んじ、
朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん」
といっている。
老人には安心させ、友達には信頼させ、
幼いものからは懐かれるようにしたいという意味だが、
渋沢はこれでこそ真の交際も成立するというものだといっている。
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今日の諺 「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」
【意味】
春風がおだやかにふいて、のどかな景色のこと。
また、人のゆったりのんびりしている様子のこともいう。
「駘蕩」とは、のびのびとした、
おだやかなという意味。
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龍城福祉会 志和龍城認定こども園72回卒園式
とても感動的な卒園式でした。
小学一年生に成っても仏の子として強く優しく男の子。優しく強く女の子。