「お役に立つ人に成ること」
あたかも青頸(あおくび)の孔雀が空を飛んでも、
白鳥の速さに及ばないように、
在家者は、人里離れて林の中で
瞑想する出家修行者には及ばない。
(原始仏典『スッタニパータ』第一章第十二節ー二百二十一番)
この項で、『スッタニパータ』第一章「蛇の章」は終わりです。
この項も、釈尊からの直伝の御言葉ではなくて、後世に弟子たちが
組織を維持して鼓舞するために(宗教組織アルアル)で加筆されたと
想定します。
在家の信仰者は、山で修行に専念する修行者には、心境でかなわな
いと書いてあります。「でも、それが何か?」「別に、修行者に勝つ
つもりもありませんよ~」というのが、庶民の本音です。
しかし、最古の仏典にわざわざ記載されているわけを、ここで考え
ます。これは、逆説的な、戒めの項だと。
古くから人間は、自分の身分や、自分が属する組織などの「権威」を高
めたい時に、または長く維持したい時に、一般人との比較をしてみせて、
自分たちを安心させる側面を人のサガとして持つということを、まさに
この項は見せてくれています。
この項を読んで、
*専門家だからと言って、驕り高ぶってはいけないよ。
*他人と比較して、自分たちを褒め讃えることや、権威を見せつけることは、
実に醜いことなんだよ。ということを教えるのが、陰にある真の目的の項だ
と感じます。
その証拠に、これは「蛇の章」の最後なのです。
「悪知恵の深い蛇には、ダマされるなよ」ということを、見せてくれる項だ
と思います。
自分は、〇〇を信仰しているから安心だ。
自分は、一部上場企業に属しているから安泰だ。
自分は、あんたたちよりも修行・勉強しているから違うんだ。
このように考えて、他人と比較している間は、それは蛇のサガに騙されている
最低の人だということです。
一燈園の故石川洋先生は、「偉い人にならなくていい。立派な人にならなくて
いい。お役に立つ人になることた゛」と教えて下さいました。
法然さまは「愚か者の自覚」を言われ、親鸞さまは「人の悪性は捨て去れない」
と言われました。人は、愚か者や悪性に蛇のようにとぐろを巻くのではなく、
「これでいいのか?これでいいのか?」といった問題意識を持って、謙虚に少しでも
周りのお役に立つことを意識して生きていくことだと感じます。
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日本人の道徳心
「好きな道を選び、究める」
志を立てるとは、自分の好きな道を選び、
一生懸命に研鑽を積んで、
その道を究めることである。
だが、好きな道を選ぶというのは、
簡単なような実はむずかしい。
人間同士でも、好きな道よりも、
その時々の時流に乗りたがるものだからだ。
これを学べば時流に乗れるだろう、
というような考えで勉学のときを送ったとしたら、
時代が変わってそうした知識や能力が
望まれなくなった時、本人の失望は大きい。
でも、自分の好きなことに努力、
専心していた人だったら、
世の時流などというものは関係がない。
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今日の諺 「才色兼備(さいしょくけんび)」
【意味】
才能があって、容姿も美しいこと。
女性に対してのほめ言葉。
「才色」とは才能と色で、
色とは女性の美しい顔かたちのこと。
「兼備」は兼ね備えるという意味。
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