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「あきらめたら、そこでおわり」
釈尊が答えました。
「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって膿を渡る。
勤勉によって苦しみを超え、智慧によって全く清らかとなる」
(原始仏典 スッタニパータ編 第1章10節-No.184)
・信心深いとは善なる仏の願いを聞いて素直に安心して生きる。
・前向きに、すべての問題も自分の気づきや目覚めにしてしまう。
・この世は、自身の努力次第で、苦悩が終わる世界。
・正しい真理への智慧を知る縁がある人には、輪廻の卒業が可能。
※釈尊は中道という客観的な視点で、正しい智慧を知る努力が必要で
あると仰っています。あきらめたら、そこでおわり。人間は、いつま
でも真摯に学び実践しようとする姿勢が必要だということです。
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人食い鬼神は、
「人間は本当に輪廻を卒業することが出来るのか?」
「輪廻を卒業できると言うならば、その方法を言ってみろ」
と懐疑的に釈尊に問い掛けています。
(1)信心深い人は、輪廻の卒業が可能である。
信心深いとは、何でしょうか?
・ 悪いことよりも、善なることを信じる人である。
・ 素直な人のこと。
このように浮かびます。
悪いことのほうが、役に立つと信じる人が、世の中には居るのです。
「自分は死んでも善なる世界を信じたい」と思える人が、信心深いと言えると感じます。
(2)前向きな気持ちで、すべてを自分のための修行にしてしまう人は、輪廻を卒業する。
生きていれば、どんな人も生(性)老病死からの苦悩を避けることが出来ないのです。
自分の思い通りにならないことを、1つ1つ苦痛に感じていては切りが無いのです。
どんな苦悩も、問題も、
・ 自分のための修行にしてしまう人
このような人は、輪廻からの卒業が可能に成ると、釈尊は示唆をしています。
(3)コノ世は、自分の努力次第で、苦悩が終わる世界だ。
人間の祈願とは、
・ 努力をしないで、夢を叶えたい。
・ 他人を押し退けても、無理な事でも、自分の欲しいものを手に入れたい。
こういう正体が有ります。
人食い鬼神も、何百年間も人間から毎日、このような祈願を聞かされ続けているわけです。
鬼神にとっては、人間が輪廻を卒業するなど、鼻で笑いたいことであるのが、この項からも分かります。
釈尊にしても、餓死寸前を女性スジャータに命を助けられるまで、死ぬほどの努力をした御方です。
「猛烈な努力をすることで、人は今の苦悩を乗り越えることが出来る」
釈尊が、このように鬼神に返答をしています。
コノ世に生まれた人は、努力が必須条件だということです。
(4)正しい真理への知恵を知る縁が有る人には、すべての卒業が可能である。
闇雲(やみくも)にただ努力しても、コノ世はダメなのです。
・ 正しい方向性を知って、努力することが大切です。
間違った方向には、いくら努力してもダメなのです。
間違った信仰では、先祖を供養することも出来ていません。
努力しても、正しい知識との縁の有無で、今生の運命が変わるのが人間なのです。
今の自分の努力の方向性は、これで大丈夫か?
これを常に思いながら努力する人は、大丈夫です。
そのためには、釈尊は「知恵を知る努力」が大切であると指摘しています。
人間は、いつまでも学ぼうとする姿勢が必要であり、中道という冷静な視点で、正しい知恵はどれか?
静観していることが大切なのです。
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日本人の道徳心
「相手に応える」
人から認められた場合は、
認められたら、その人に認められたのに
相応しい人間として行動する。
愛情をかけられた場合は、
愛情を受けたのに相応しいことをする。
「士は己を知るもののために死す」
というのも同じ言葉である。
人間というのは、
本来、そういうものではないか
という気がするのである。
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今日の諺 「四面楚歌(しめんそか)」
【意味】
味方がいないとき
まわりを敵に囲まれて、助けの無い状態。
【由来】
昔の中国で起こった、
楚の国と漢の国の戦いにまつわる。
楚軍が漢軍に取り囲まれたとき、
まわりの漢軍から楚の国の歌が聞こえてきて、
楚軍の大将、項羽は、すでに多くの味方が
漢に降伏したと知り、なげいたという話から。
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