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2/13(木)「すべては あずかっているだけ」

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「すべては あずかっているだけ」

釈尊との問答を終えた雪山に住む神霊が、
釈尊こそは、限りなく深い知恵と、神妙なる真理に到達している。
あらゆるものの所有感と執着心を捨てて、完全な自由になっている。
釈尊への賛辞を、天の未知を歩みつつあるかの大仙人と語ります。
(原始仏典  釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.176)
仕事にも、家族にも、お金にも、「嫌な執着はしない」「今の自分が
預かっているだけ」という心の軽い心境や、欲望や社会的名声・地位
への執着が消えるほど、その人の心の縛りを解き、その人は自由に成
れる。逆に執着するほどに、心が縛られ、腹の立つことや、心配する
ことが増えだします。
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「釈尊こそは、限りなく深い知恵と、神妙なる真理に到達している。
欲望や社会的名声や地位に執着せず、あらゆるものの所有を完全に
放棄し切っている。このように全てのことから離れて完全に自由である。
気高い道を歩む偉大なる人を見よ。」
(原始仏典 釈尊の言葉  スッタニパータ編 第1章9節-No.176)
現代の私たち達への、大切な生きるためのヒントに成りますことは、
(1)すべてのモノへの「所有感」を捨てると、自分自身が自由に成れること。
  釈尊のように所有物の全てを、本当に捨てる訳にはいきませんが、モノ
  は所有していましても、その「所有感」は捨てることが可能です。
  家や貯金もあるが、仏さまから一時的に預かっているだけ。
  このように、「所有感」という「執着」を捨てるだけでも、自分自身の生き方
  が大きく違って行き、来世に嫌な転生をする因果を創らない、残さない生き方
  になっていきます。

 

(2)欲望や社会的な名声・地位への執着が消えるほどに、その人は自由に成れること。
  欲しいモノや、社会的な地位が、今の自分に有っても別に良いのです。
  でも、それに対して「執着」するほど、自分の心の自由は消えて行く訳です。
  「執着」するほどに、腹が立つことや、心配することが増え出します。
  つまり、自分の心がいつの間にか「縛られている」のです。
  仕事、役職、家族、お金にしても、「嫌な執着はしない」「今の自分が預かって
  いるだけ」という心境は、心を軽くさせ逆に良い関係、良い継続をさせるものなのです。
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日本人の道徳心

「褒めて育てる①」

功なり名を遂げた人が、

若い人に期待し、励まし、

自信をつけさせるということは、

とても大切なことです。

人は褒めて育てなければならないのです。

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今日の諺 「有名無実(ゆうめいむじつ)」

【意味】

名前は立派だが、実質がともなわないこと。

また、名前だけ知られているが、

実際には役に立っていないこと。

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悟り・信心

自我を取る、自我を薄めるとは、
心を静観し安心させて無になること・・・、ではありません。
そういった難しいことじゃない。
日々の生活努力と、仏さまや先祖への感謝を普段の中ですることが大事。
これ次第です。先祖への感謝磁気を貯めることが、
結果的に守護に繋がります。

 

つまり、我を消すとか、取るとか、除去する、
ではなくて、
自分から、感謝を出す、愛情を出す、慈悲を出す、
これで進化と因果の昇華が起こります。
自分が我を消すとか、取るとか、除去する、では無いのです。
そして、生きている間は、
誰もが仏さまと一心同体です。
ただ、それが認識できない。分からない。味わえない。
悟るとは、信心を獲得するとは、
内在する仏さまを認識して深く安心した人です。
真宗の信心獲得(悟る)した人も、
聴聞とお念仏を味あうことで
「そうだったんだぁ」と認識した人のことです。
へえ~~それだけ?そうです。それだけのことです。
別にとんでもない
神秘体験をするわけでもなんでもありません。
あとは、
その真実を日常や仕事の中で
自我や自身のサガに翻弄されても、
忘れないでおくことができるのか?
お念仏申せ。
仏さまに背を向けて
自我とサガを生きている自分に気づいていく。
後は「学仏大悲心」。
念仏申し、自分から、感謝を出す、愛情を出す、慈悲を出す。
これで安心と共に進化と因果の昇華が起こります。
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