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「井戸の中のカエル大海を知らず」
雪山に住む神霊が、釈尊に問い掛けます。
「いったい、どのような人間ならば、このような雑多な社会の中に住みながら、
輪廻(りんね:生まれ変わり)の激流を無事に渡ることが出来るのでしょうか?
いかなる人が、自分なりに崩れずに、転生(てんせい:生まれ変わる)の海を渡る
ことが可能なのでしょうか?
どんな人間が、転生の海の底に沈むことも無く、海の表面に浮かぶ物にもつかまらずに、
深い転生の海に沈まずに、抜けること(卒業)が出来るのでしょうか?」
(原始仏典 釈尊の言葉 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.173)
この項を読んで浮かんできたのが、「井の中の蛙大海を知らず」です。
このことを空海さんも人間の人生を半分嘆くように心配しています。
「生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に死んで 死の終わりに
冥し」(何度となく転生を繰り返しているのに、生の始まりさえ分かっていない。
何度となく死を繰り返しているのに、死の終わりさえ知らない)「秘蔵宝鑰」序詩より
「一体どうすれば人は、繰り返す輪廻転生から救われるのか?」神霊も含めて、
その方法が「分からない」というのが、この項の釈尊に対する質問です。
※この゛いのち゛とは、永遠不滅です。この世を去っても、ただ、旅をしていく
世界が変わるだけです。まず生かされてお役を与えられている自分の現状へ感謝しま
しょう。感謝心と愛情心の有無で進んでいく世界は大きく変わっていきます。
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この項を読んで浮かんできたのが、「井の中のカエル大海を知らず」です。
小さな井戸の中に住むカエルは、大きな海があることを知らないという意味
から、狭い見識に囚われて、他に広い世界があること知らないで、自分が住んで
いる所がすべてだと思い込んでいる人のことを言います。
この世に住んでいる私たちは、このいのちは生き通しで、この世を去った後、
その人の生前の生き方通りの世界である「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」
と言う六道の世界を流転していることも知らず。逆に、浄土という素晴らしい清浄
の世界があることも、信じられず。こういう心境の御方が、この世の大半ではない
でしょうか。
それはそれとして、一番問題なのが、辛いことに遭いますと、どうして自分だけが
こんな目に遭うのか?この社会は不公平であり矛盾だらけだ、と怒り嘆くことです。
これは、忘れている自分自身が行った前の世から継続している自業自得の結果が今
に起こっているだけなのです。
このことを空海さんも嘆きながら、「三界の狂人は、狂せることを知らず」
(色々な世界において狂える人は、自分が狂っていることを知らない)
「生まれ生まれ生まれて 生の始めに暗く 死に死に死に死んで 死の終わりに
冥し」(何度となく転生を繰り返しているのに、生の始まりさえ分かっていない。
何度となく死を繰り返しているのに、死の終わりさえ知らない)(『秘蔵宝鑰」序詩より)
「一体どうすれば人は、繰り返す転生、生死流転から救われるのか?」神霊も含めて、
その方法が「分からない」というのが、この項の釈尊に対する質問なのです。
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日本人の道徳心
「苦労にも工夫がいる」
「工夫しての苦労でなければ、
苦労の中からなにものも
得ることができない。
工夫なき苦労は一文の値打ちもない」
野間清治の言葉
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今日の諺 「多事多難(たじたなん)」
【意味】
事件や困難なことが多いこと。
「事」は事件やできごと、
「難」は困難や災難という意味。
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お客様の声
新宿伊勢丹メンズ館
三つ目のバッグを受け取られたお客様が、
「とても良い仕上がりでした」
と仰ってくださいました。
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