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「足るを知る」
更に雪山に住む神霊が、釈尊に問い掛けます。
「人は何に執着して悩むのですか。
人はどうしたら自由に解放されるのでしょうか」
(原始仏典 釈尊の言葉 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.170)
釈尊が答えました。
「コノ世では、人にはそれぞれに五種類の欲望が存在し、その五種類とは、視覚の欲望、
耳からの欲望、匂い・臭いに対する欲望、舌から得る欲望、肉体への欲望である。
そして、それらに加えて第六番目の意識に対する欲望がある。
それらに対する執着を離れれば、苦しみから解き放たれる。」
(原始仏典 釈尊の言葉 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.171)
釈尊は人間は、欲望という「感覚」を満足させるために、生きているのが真相だと
示唆されています。
本当の自分のいのちを生きるのでは無くて、自分の欲望(自我)が満足するための人生を
生きているのが、悩める人間の正体だと指摘されています。
多くの人が共通して欲しがる対象ほど、それに対する自分の欲望が大きく成ります。
人間は、他人が欲しがるモノが欲しい、という錯覚に欲情して苦しむのです。
お金、健康、長寿、美貌、美食、家、車、洋服、異性、地位、権力・・・・、自我は
何でも良かったのです。他人が欲しがるモノを、負けずに手にしたいだけなのです。
釈尊は、自分に本当に必要なモノは手に入れればいい。
他は足るを知って、「お腹一杯、もういいわ~。と看破した時」、その人の執着は薄
まり苦悩は消え去ると指摘されています。
やはり、人間は心の問題の生き物なのです。そろそろ人間は、この幻想から解放され
る時期が来ることを、スポーツカーに興味を持たない若者たちを観て感じています。
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日本人の道徳心
「少し苦労するのがいい」
アランは面白いことをいっている。
「少し苦労して生きていくことは
いいことである。
生きていく上で波乱があることはいいことである。
欲しいものが何でも手に入る王様は
かわいそうではないか。
もし、神様がどこかにおられたならば、
きっと少しノイローゼになっているだろう」
退屈したり、ノイローゼにならないためにも、
今は少し苦労するように心掛けてみよう。
「手応え」のある充実した人生は、
そこからしか生まれてこない。
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今日の諺 「自己満足(じこまんぞく)」
【意味】
自分で自分をほめるとき。
自分の言ったことやしたことに対して、
自分で満足すること。
「自己」は自分自身、
「満足」は満ち足りていて不満がないという意味。
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