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「生と死は連続した一つだった」
何者をも恐れないライオンのごとく、
どんな欲望の対象にも惹かれることなく毅然と立つゾウの王様のごとく、
一人で修行に歩く、釈尊の尊顔を拝しようではないか。
そして、いかにして死の恐怖から自由に成れたのか?
聞こうではないか。
(原始仏典 釈尊の言葉 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.166)
釈尊は、生存本能から解放され「死を恐れない」境地に達していかれました。
釈尊が語られた言葉を集めた「般若心経」というお経の中には、この世という
「見える」物体は必ず変化するが、心、いのちは「不生不滅」(ふしょうふめつ)
だと仰っています。エネルギー不変の法則です。
生まれたことも死んだことも、変化したことも無いのが私たちの心だと仰ったのです。
心の思いが喜怒哀楽でコロコロと変わるのは、それは自我(じが:我良し)の部分
が反応し変化しているだけで、どんな人間でも心の奥深い部分は絶対不変なのです。
その心の奥深い部分を仏性と呼びます。
つまり、生と死という区別は無かった。生と死は、連続した一つだったのだ。
これが理屈を超えて、釈尊は分かってしまうのです。
この真実が本当に分かると、人間はどんな苦しみや悲しみがあっても、お浄土に向かって
一生懸命生きて行こうと勇気が湧いていきます。
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釈尊は、大いなる意志が人類に植え付けた「死への恐怖」という
本能を断ち切ったという訳です。
神霊も、それは本当なのか?
では、どうやって釈尊は死の恐怖から自由に成れたのか?
が知りたいのです。
神霊にすれば、肉体を持たない自分たち不死の神々と、人間との決定的な大きな差は、
死への恐怖感の有無だと思っていたのです。
それが、生きる人間のままで、死への恐怖を無くした者が出現したと聞いて不思議に思っているのです。
神霊にしても、受肉の転生が過去に有ったとしても、神霊として自由自在に成れたのは死後の話だからです。
ここで思い出しますことは、釈尊の発言に有ります、
・ 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)
宇宙には自分一人だけが、独りで存在している。
宇宙全体が自分だった。
すべては1つだった。
他人も、自分自身だった。
この境涯に釈尊は達していたのです。
すべてが自分だった、これが深く腑に落ちた時に、
生と死という区別は無かった。
生と死は、連続した1つだった。
これが理屈を超えて、分かってしまいます。
その時に、「死は無かった」ということが本当に分かります。
柔訳 釈尊の教え 第2巻 原始仏典スッタニパータより抜粋転載
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日本人の道徳心
「チャンスの神様」
西洋の古い諺に
「運命の神には前髪しか生えていない。
後頭部は禿(はげ)だ。
だから幸運を得ようと思えば、
その前髪をつかむしかない。
そして、それを捕らえたら離すな。
一度逃げたチャンスは
ジュピターの神も捕まえることができない」
というのがあります。
受動的に待っていても幸運は訪れない、
まずは動いてみよ、ということです。
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今日の諺 「一衣帯水(いちいたいすい)」
【意味】
地域をへだてる、とても細い川や海峡のこと。
二つのものがとても近いということ。
「衣帯(いたい)」とは着物の帯、
「水」は川や海のことを言う。
一筋の帯のような細長い川や海という意味から。
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お客様の声
君津本店
●お急ぎの当日仕上で、スーツと礼服とネクタイを
出された方がとても喜んで頂きました。
伊勢丹ウォータークリーニング
●スェードのバッグにデニムの色移りを
綺麗になって喜んで頂きました。
●外商さんと一緒にご来店の女性が
エルメス・シャネル・ヴィトン・・・
に付いた汗ジミのしみ抜きを持って来ますので
よろしくお願いしますとの事でした。
阪急メンズ東京ウォーター
●綿ロングコートの襟のしみ抜きと
エルメスのバッグの補修について
お問い合わせがありました。