「悪い意味でのこだわりや執着を無くすほど 生きるのが楽に成れる」
七岳山(しちがくさん)の神霊が、雪山の神霊に対して答えました。
「釈尊は、性欲を匂わす色仕掛けに遭った時に、気持ちが惹かれることが無い人です。
心がイライラすることも無い人です。
無知な妄想に囚われることが無い人です。
宇宙の真理を見通すことが本当に出来る人です」
(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.161)
要するにこの項から、
・ 自他の容姿にも、自分が考えた妄想にも、こだわりの無い、執着の無い人を神霊が求める。
このように考えますと、見えて来るものがあります。
つまり、自分のこだわりを無くし、執着を無くして行きますと、見え始めるものが有ります。
それは、色々な物事に共通する真理が見え始めるのです。
(真理:いつの時代でもどんな時でも変わることのない物事の道理。真実。永遠不滅の理法)
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神霊が、完全なる人間に対して求めた視点が、
(1) 色仕掛けに乗らない人間であること。
(2) 心がイライラしないこと。
(3) 自分の妄想にこだわらない人。
(4) 宇宙の真理が本当に分かる人であること。
この4つの中で、(1)が最も人間らしくて、その真偽を確認することが可能な視点だと思います。
(2)〜(4)は、その真偽を他人が確認することが難しく、その人の自称を聞くしかありません。
(中略)
要するにこの項から、
・ 自他の容姿にも、自分が考えた妄想にも、こだわりの無い、執着の無い人を神霊が求める。
このように考えますと、見えて来るものがあります。
つまり、自分のこだわりを無くし、執着を無くして行きますと、見え始めるものが有ります。
それは、色々な物事に共通する真理が見え始めるのです。
真理とは大げさなものではありません。
色々なことに「共通して言えること」が真理です。
私達は嫌な意味でのこだわりや、執着を無くすほどに、イライラしない生活が出来ることでしょう。
そして、日常生活の中に色々な宇宙の真理が貫徹していることに気付き、神様の存在を知ります。
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日本人の道徳心
「"やる"という意欲」
才能があるかないかといった評価は、
何か事を成したあとの結果に対して
人が下すもので、始める前から
自分で決めつけるものではないだろう。
やると決めたら断固として
やってみることが大切なのだ。
やれるかやれないか、
実力があるかないかは
そのあとで決めればいい。
"やる"という意欲、
強い意志さえあれば、
何事もある程度は
貫き通すことができると知るべきだ。
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今日の諺 「一陽来復(いちようらいふく)」
【意味】
冬が終わって春がくること。
新年がくることも言う。
また、悪いことが続いたあとに、
運が向いてくること。
【由来】
易占いから来た言葉。
「復」は昔の十一月または冬至のこと。
それまで陰(暗くて消極的)だったが、
十一月(冬至)になると、
陽(明るくて積極的)が、めぐってくるということから。
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