「お金は相手の真相を教えてくれる」
本当は借金したにも関わらず、その相手から返金を言われました時に、
「あなたから借りてない。知らない」と言って逃げる人。
そのような人こそが、最低の人間である。
(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章7節-No.120)
金銭とは不思議なもので、
・ 相手から金を借りる時は、有り難い。そして、得をした気分。
・ 相手に借金を返す時は、なぜか腹が立つ。そして、損する気分。
こういう性・サガの人が、実際にいます。
借りた本人は、返す道理を分かっていながらも、自我(ワレヨシな感情)が出やすいのが金銭問題だと思います。
これは逆に言えば、その相手の深層を良く知りたいと思えば、金銭に対する態度を静観すれば見えて来ます。
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2500年も前の古代インド社会には、既に貨幣の流通が有ったそうです。
貨幣の有る社会には、必ず借金が生じるものです。
つまり釈尊が生きられた時代とは、ほぼ現代社会と同じ、喜・怒・哀・楽が有った。
生(性)・老・病・死、という欲望・色情・病と死の悩みが有った。
と言えます。現代とまったく変わらない訳です。
金銭とは不思議なもので、
・ 相手から金を借りる時は、有り難い。そして、得をした気分。
・ 相手に借金を返す時は、なぜか腹が立つ。そして、損する気分。
こういう性・サガの人が、実際にいます。
借りた本人は、返す道理を分かっていながらも、自我(ワレヨシな感情)が出やすいのが金銭問題だと思います。
これは逆に言えば、その相手の深層を良く知りたいと思えば、金銭に対する態度を静観すれば見えて来ます。
金にだらしない人、金に汚い人、こういう人は異性関係も非常に無責任であり、自己抑制が出来ない人物であることが言えます。
未来は白紙ですが、「金にだらしない」時点で、もう未来の「方向性」「羅針盤」は「今に」出ている訳です。
そして、ましてや、この項に出ているような、
・ 借金を、ウソを付いてでも踏み倒そうとする人物。
釈尊は、こういう人こそが最低な人間だと烙印を押しています。
いかに、霊的な罪が深いかを意味します。
御金には、それを得る為に苦労した労働や苦労や悲しみが、霊的に乗っているのです。
どのように視えるのかを説明しますと、
・ 金銭に様々な色をした「霊的な線」が憑いているのです。
相手から金を借りることは、そのお金に憑いた苦労も、自分が「借りている」ことに注意してください。
もし、相手に金銭を「わざと」返さない場合は、得をしたつもりでも金銭に憑いた苦労を自分が持つことに成ります。
その苦しみは、じわじわと自分の幸運・寿命を削って行きます。
だから逆に、金を取られて失った人は、霊的には身軽に成る、災難が減る、病気が治る、という傾向も有ることなのです。
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日本人の道徳心
「青年の気迫」
「上着をとられたら下着を渡せ。
右の頬を殴られたら左をも出せ」
という考え方は、
きわめて人生経験に富み謙遜な心を
身につけた人にとっては
貴重な教えかもしれませんが、
ある国の青年たちが皆その教えに従ったら、
その国は成り立ちません。
泥棒はし放題になってしまうし、
侮辱された時に
立ち上がる気迫もないような青年ばかりできたら、
これは困ったことです。
法律の正義も正当防衛も消えてしまいます。
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今日の諺 「意志薄弱(いしはくじゃく)」
【意味】
意志が弱いとき
自分で決断することができなかったり、
何かをやりとげたりできないこと。
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