「公共のモノに対する立て度ほど、その人の本性が出る」
もしもある人が、村や、森林の中などにおいて、
他人の所有物や、育てている物を、かってに盗んで使用するならば、
そういうことこそが、最低の人間が取る行動である。
(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章7節-No.119)
この項での指摘は、公共の場所と、公共の場所のように見える私有地に在る個人の所有物、
についての盗用についてです。
個人の自宅内から盗むのは、明らかな犯罪であり強盗です。
しかし、村落内や、広い森林の中に在る個人の所有物についての盗用も、釈尊は「最低の人間」だと指摘しています。
公共の物を、屁理屈をこねてでも盗む人は、
・ 将来の幸運を捨てている。
・ 自分の寿命を削っている。
こういう因果の知識を知って置いて頂ければ幸いです。
コノ世は、誰もが「試されながら生きる世界」とも言えます。
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その理由は、
・ 公共の場所に在る物ほど、それを盗るのは個人の本性・サガが出るから。
つまり、公共の場所の物ならば「まあ、良いだろう」、
これが出来る人は他のすべての面においても要注意な人だということです。
公共トイレに有るトイレットペーパーの在庫を盗む人も、後を絶ちません。
中には、市役所や公共の施設からトイレットペーパーを持ち帰るのは、税金を払っているから問題無いと、
「本当に」思う人もいます。
でも、その人の良心(内在神)は、真実を知っています。
公共の物を、屁理屈をこねてでも盗む人は、
・ 将来の幸運を捨てている。
・ 自分の寿命を削っている。
このような本人に取っては割の合わない、
「取り引き」「交換条件」をしていることに気付けません。
本人はわずかでも得をしたと思い込んでいますが、実は因果の借金を増やしていたということです。
つまり、この項の戒(いまし)めは、
・ 公共の物ほど、逆に注意をしなさい。
・ 盗りやすい物ほど、交換条件が働く。
こういう因果の知識を知って置いて頂ければ幸いです。
コノ世は、誰もが「試されながら生きる世界」とも言えます。
生きる短い期間(人生)は、良心という最新・最高のシステムにより「撮影中」だと言うことを忘れないでいましょう。
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日本人の道徳心
「成長の一里塚」
幕末第一の人物といわれた
福井藩の橋本左内(さない)は、
「稚心を去れ」という言葉を
モットーにしていたとのことである。
これはつまり、
「成長のための苦痛を怖れるな」
ということである。
子供は家の中にいて
母や祖母に甘えておれば天下泰平であろう。
しかし、その子供が成長するためには、
近所の子供の中に出て行かなければならない。
いじめられたり、打たれたり、
意地悪されたりするかもしれないが、
ともかく出ていかねばならぬ。
成長とはそうしたものなのである。
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今日の諺 「完全燃焼(かんぜんねんしょう)」
【意味】
やり切ったとき。
物が完全に燃えるつきることから転じて、
自分の力を十分出し切って思い通りにできたこと。
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