「孝行したいときには親はなし」
釈尊は答えました。
「自分に十分な収入があり、楽に暮らす金銭的な余裕があるのにも関わらず、
自分の母親か父親が、老いて働くことが出来ず困窮状態にあるのを放置する人物。
これが自ら破滅に向かおうとする、第四番目の破滅に向かう人々の特徴です」
(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.98)
古代から親孝行は、人類が悩んで来た課題だとも言えます。
自分のいのちが肉体を借りた遺伝子の先(親や先祖)への自分自身の態度が因果と成り、
来生に自分が持つ健康や財産、容貌に至るまでを決めるわけです。
自分の良心が「これでOK」、と納得する感謝の親孝行を少しでもしておきたいものです。
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釈尊は、天啓を受けて、自国民を少しでも助けるために家出したと言えます。
これが歴史家には、「親も自国も捨てた」と見なされる訳です。
つまり親孝行にも、人により千差万別であり、色々な形があります。
親孝行をしていない=破滅する人、では決してありません。
この項で指摘しているのは、
・自分に収入があり、楽に暮らす金銭的な余裕があるにも関わらず、生活が出来ない親を放置する人。
という条件付きです。
では、自分自身も生活がギリギリであり、残念ながら親に何も出来ずに放置する人。
これは、どうなのか?この場合は、
・ すべてを見て知っている自分の良心(仏性)が、判断します。
これにお任せで良いです。生きる誰もが、非難も判断も出来ないことです。
その中でも、自分が出来ることはしたのか?
親に出来ることが、本当に無かったのか?
自分自身の良心が、すべての画像(リアルな4D)を、
内心の思考も含めて記録しているのが、誰もの今の生活なのです。
古代から親孝行は、人類が悩んで来た課題だとも言えます。
自分のいのちが肉体を借りた遺伝子の先(親や先祖)への自分自身の態度が、
来生に自分が持つ健康や財産、容貌に至るまでを決める、重要な「第四番目の破滅に向かう人の特徴」
と成ることだけは、知って置きましょう。
既に亡くなっている両親には、先祖への感謝が大きな親孝行に成ります。
・ 自分なりの、
・ 自分の良心が「この程度でOK」、
と納得する親孝行をしたいものです。
生きる誰もの課題だと言えます。
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日本人の道徳心
「必勝の信念」
必勝の信念は初めからあるものではない。
ありとあらゆる準備をして、
もうこれしかないとなったときに、
それが結果的に必勝の信念になるのである。
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今日の諺 「空理空論(くうりくうろん)」
【意味】
実情とはまったくちがっていて、
役に立たないこと。
「空理」は実際とはかけはなれているという意味。
「空論」は役に立たない理論という意味。
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