「人間は生きる限り 人生を勉強して行くことが大切」
釈尊は、鍛冶屋職人のチュンダに対して、4種類の修行者について、
・ 第一の修行者は、コノ世のすべての我欲に打ち勝った人。
・ 第二の修行者は、修行方法を無償で説明・解説する人。
・ 第三の修行者は、修行方法に従って生活する人。
・ 第四の修行者は、修行方法を教えることを悪用し、修行という名の下(もと)に
悪事(金儲け・性交・社会悪)を行う人。その中身について説明をされました。
そして、釈尊は更に続けて仰いました。
『一般家庭に居る修行者が、このような真理の話を聞き、正しい悟りへの知識を持ち、
4種類の修行者についての内容をよく理解したならば、「修行方法を教えることを悪用する
第四の修行者」に出会ったとしても、家庭に居る修行者が失望して、自分の信仰を失うことは無いでしょう。
すべての修行者が、そのような悪人ばかりでは無いと知っているからです。
腐敗した修行者と、真の修行者を、正しい知識により自分で区別することが可能に成るからです』
(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章5節-No.90)
つまり、人は正しい真理の話を聞く縁を、自分自身が持つためには
・ 自分が持つ先入観に注意しなければ生けない。
・ 良いモノ、悪いモノ、が何事にもすべてに有るという「正しく全体を知ってから」、
判断したほうが良い。このようなことが、人生に言えそうです。
正しい知識を持つことで、悪い人を避けること、良い縁に出会うことが可能に成ります。
人間は生きる限り、人生を勉強して行くことが大切だと釈尊は仰っています。
・今日で68歳を迎え、あらためて一生勉強と強く感じています。
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同じ「修行者」という名称でありましても、その中身は、「4種類の修行者に分かれる」という事
を事前に知っておれば、真面目な一般人がダマされることは無い。
また、変な詐欺師のような修行者を見たからと言って、すべての修行者を同一視して避けることも、
自分の信仰を失うことも無い。
と釈尊が説明されています。
ただ、一般人がこのような区別を自分ですることが可能に成るのも、上記のような事前に正しい真理の話
を聞く縁を、自分自身が持つことが大切な訳です。
正しい真理の話を聞く縁を、自分自身が持つことが大切な訳です。
つまり人は、
・ 自分が持つ先入観に注意しなければ生けない。
・ 良いモノ、悪いモノ、が何事にもすべてに有るという「正しく全体を知ってから」、判断したほうが良い。
このようなことが、人生に言えそうです。
2500年も前から、既に人は「4種類の修行者」に分離をしていたと言えます。
どの時代にも、悪人も善人も居る訳です。
今の時代を辛いと感じる人は、昔から先祖たちも同じような色々な人間が居る環境の中を
生き抜かれたと思いましょう。
正しい知識を持つことで、悪い人を避けること、良い縁に出会うことが可能に成ります。
人間は生きる限り、人生を勉強して行くことが大切だということでした。
2500年も前から、既に人は「4種類の修行者」に分離をしていたと言えます。
どの時代にも、悪人も善人も居る訳です。
今の時代を辛いと感じる人は、昔から先祖たちも同じような色々な人間が居る環境の中を
生き抜かれたと思いましょう。
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日本人の道徳心
「上達、下達」
上達しているか、下達しているか、
これは人間の生き方の大きな分岐点になる。
人間は同じところに留まっていることはなく、
上に進んでいるか、下に向かっているかの
どちらかなのであることを忘れてはなるまい。
向上か、堕落か、
毎日がその選択にせまられているといってよいのだ。
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今日の諺 「心機一転(しんきいってん)」
【意味】
何かをきっかけにして、
気持ちをすっかり入れかえて出直すこと。
「心機」とは心の働きという意味、
「一転」はがらっと変わることを表す。
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