「小さな悪事にも決して手を染めない」
そして最後に、釈尊は「第四の修行者」について説明をされました。
* 第四の修行者は、修行方法を教えることを悪用し、修行という名の下(もと)に
悪事(金儲け・性交・社会悪)を行う人のことです。
「第四の修行者とは、
・ 修行の戒め(生活習慣・色情・物欲・・・・)を固く守っているかのような「外見」にこだわる人。
・ 修行と金儲けを結び付ける間違った「教え」を正当化することを主張し、それを誇らしげに広める人。
・ 間違った教えで、一般人にも金儲けをさせて共犯者にして、多くの人々を堕落させる人。
・ 正しい真理の言葉を語らず、べらべらとお喋りする下品な言葉を話して、それが説法だとする人。
以上のような見せ掛けだけの間違った行為を修行と主張する堕落者が、第四の修行者です」
(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章5節-No.89)
・ 正しい信仰や真理の言葉には、品格が有ること。
真の修行とは、信仰とは、自分で自分自身を見詰めて正して行き感謝と努力の道を未来に向かって
前向きに歩むことだと思います。
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まさに現代こそが、「偽キリスト」「第四の修行者」が現れる舞台の時代だと思えて成りません。
でも逆に言えば、今に生まれるとは光栄なことではないでしょうか?
今から1000年前に生まれた人々には、「偽キリスト」「第四の修行者」の記述を見ましても、
ピンと来なかったでしょう。どんな人々なのか?具体例を身近に見ることが滅多に無かったことでしょう。
でも、今の社会を見れば、まさにです。そのような自称者が大伽藍(だいがらん:豪勢な建物)を誇示し、
非常に跋扈(ばっこ:はびこること)して来ました。特に昭和時代は酷かったと思います。
では、私たちとすれば、どうすれば良いのでしょうか?
つまり、「第四の修行者」の特徴の逆をすれば良いのです。
・ 修行の外見にだまされないこと。
相手の、その言葉の、中身を見ようと努力し、そして自己判断しましょう。
・ 信仰や修行と金儲けを結び付ける間違った「行為」「教え」を見れば、そこから離れること。
・ 集金システムの片棒を、気付かない内に自分が担がないように注意すること。
(ナントカ慈善事業の寄付も、実はテロ資金に流用されていないか?要注意です)
・ 正しい信仰や真理の言葉には、品格が有ること。
このような事に注意します。
真の修行とは、他人から教わることでは無くて、自分で自分自身を見詰めて正して行き感謝と努力の
道を未来に向かって前向きに歩むことだと思います。
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日本人の道徳心
「客観的な生き方」
「自立自存」にしろ「独立自尊」にしろ、
これは悪くいえば、
わがまま勝手に生きていけ、ということである。
しかし、人間は自分一人で、
すなわち主観だけで生きていけるものではない。
主観的な生き方があると同時に、
自分が生かされている社会や
国家のことを常に考えるべきである。
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今日の諺 「寝正月(ねしょうがつ)」
【意味】
正月にどこにも出かけずに、
家でゆっくりと寝て過ごすこと。
病気で寝たまま正月を過ごすこともいう。
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