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12/31(火)「和光同塵」

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「和光同塵」

鍛冶屋職人のチュンダは質問しました。
「第一の修行者、第二の修行者、第三の修行者、第四の修行者、
これらがそれぞれ、どのような人なのか?
どうぞ私に具体的に教えてください」
釈尊は答えます。
「第一の修行者である、コノ世のすべての我欲に打ち勝った人とは、
(1)他人を論破したり、反論したり、自分のことを弁護して良く見せたいという欲を無くした人のことです。
(2)いつまでもコノ世に安住すること、コノ世で有名に成りたいと言う欲を無くした人のことです。
(3)コノ世に居ながらにして、心は涅槃(ねはん:天国)に住むという最高の喜びと快楽(=悟り)を知りながら、
   これにも執着することが無い人です。
(4)世間の人々、社会の権力者たち、そして精霊・神々をも陰から黙って導きますが、決して他人に知られることが無い人です。
どこにでも居る普通の人であることが聖者の条件です。でも、その正体は如来なのです。」
(原始仏典 釈尊の言葉 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章5節-No.86)
真に偉い人、清い人は、社会の中で決して偉く目立つ人には成らず、いつも隠れており、
地味で、言い訳・弁解の下手な人だと言えそうです。
自分の身近に居る不器用で純粋な人こそが、実は如来様かも知れません。
そしてそういう人は、まるで老子の「和光同塵(わこうどうじん)」(光を和して塵とまじわる)のようです。
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第一の修行者=聖者の、その生活内容とは、
(1)誰もが、自分への誤解や濡れ衣が有れば、説明したい、説き伏せたい、と思うものです。
また、悪い人は、特に言い訳の弁が非常に立つものです。
ところが聖者とは、相手を論破したり、反論したり、自分を弁護する意欲を失くした人のことなのです。
でも、これでは、良寛さんのように泥棒だと誤解されましても、「仕方がない」と黙ったまま裸にされて縄に縛られることに成ります。
仕事で疲れて帰った旦那さんは、奥さんにガミガミ怒られましても、弁解する意欲も無いかも知れません。
仕事場には、バカにされている人、いつも怒られて失敗の責任をなすり付けられている人がいるものです。
あれ? 意外にも私たちの周囲のダメな人だと思われている人の中に、聖者が居るかも知れませんね。
でも、自分が無実なことは、相手の為にも言うべきことは言いましょう。
しかし、反論する事に執着はしないということです。

 

(2)多くの人は、有名に成りたいとは思わないかも知れません。
でも、安定した生活を継続したい、とは誰もが思うことでしょう。
聖者は、安住することにも執着を持たないということです。
これでは、今の社会の有名で裕福な指導者は、誰も釈尊のおメガネには叶わないようです。本当の聖者では無いということです。

 

(3)本当の聖者は、悟りでさえも、どうでも良いこと、大したことでは無い、と思っているということです。
だから、悟りを教えて商売の種にすることは、真の聖者ならばしないということです。
もし、「悟りを目指してすべてを捨てる」という若者がいれば、
「つまらないことは、止めろ」
と止めてくれる人の中にこそ、真の聖者は隠れていることでしょう。

 

(4)聖者は、「精霊・神々をも陰から黙って導く人」。
これは、先祖を敬う人や神仏を尊ぶ人は、知らないうちに自分自身が
* 精霊・神々・仏を陰から守る人
に成っています。
そして、
・決して他人に知られることが無い人。
・どこにでも居る普通の人。
これが最高の修行者の条件であり、その正体は如来(菩薩の上位存在)だと釈尊は示されます。

 

真に偉い人、清い人は、社会の中で決して偉い人には成らず、いつも隠れており、
地味で、言い訳・弁解の下手な人だと言えそうです。
自分の身近に居る不器用な人こそが、実は如来様かも知れません。
そしてそういう人は、まるで老子の「和光同塵(わこうどうじん)」(光を和して塵とまじわる)のようです。
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日本人の道徳心

「愛と誇りの日本史」

私は、まず自分の先祖を愛する立場、

先祖に誇りを持つ立場から日本史を見てみたい。

愛と誇りのないところに、

どうして自分の主体性を洞察できるだろうか。

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今日の諺 「有終之美(ゆうしゅうのび)」

【意味】

物事を最後までやりとげて、

最後に立派な結果を残すこと。

最後をきれいに終えること。

 

【由来】

「有終」とは、昔の中国の書物の中にある

「初め有らざるなし、

よく終わり有るはすくなし

(初めはみんなできるが、

最後までやりとげるのはむずかしい)」

という言葉から、終わりまで全うするという意味。

この「有終」に「美」をつけた言葉。

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お客様の声

君津本店

●カシミヤのストールのシミが綺麗に

なって手触りもフカフカになって

とっても喜んで頂きました。

 

阪急メンズ東京

●大きくシミが出来ていた青色の

ドレスシャツがあまりにも綺麗に

なっていて驚かれていました。

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