「人が懸命に生きる姿には、誰もが感動する」
人は、このようにして自分の心を耕作したならば、
あらゆる苦悩から解脱(げだつ:苦悩や迷妄の束縛からの解放)して、完全な心の自由に至ります。
以上の釈尊の話を聞いていた農夫は、大きな真鍮製(しんちゅうせい)のボウルに
並々と乳粥(ちちがゆ:御米と牛乳と塩で煮込みます)を盛って差し出し、
ブッダ様、あなたこそ、この乳粥を食べるに相応しい御方です。
あなたも真に農業を営む御方でした。
ブッダ様は、心の不死という作物を耕作される農業をされていることが良く分かりました」
(原始仏典 スッタニパータ 第1章4節-No.80)
最初は腹が立った農夫が、相手も真剣に生きている人だ。という共通点を見出した時に、
釈尊に真の求道者の姿を見出したのでしょう。
主婦道、サラリーマン道、武道、仏道、陶芸道、ゴルフ道・・・。
何でも真剣に生きる姿には、「セレンディピティ」(serendipity)が起こる
ということです。
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果たして、農夫は釈尊が農業をしていると、心から本当に理解をしたのでしょうか?
農夫は害獣から作物と自分の身を守りながら、厳しい自然環境の中で作物を作るという命懸けです。
そこに突然に現れた修行僧・釈尊に、「私も農夫だ」と言われて腹が立ったことでしょう。
そして釈尊の説明を聞いて農夫が分かったことは、
* この人(釈尊)も、真剣なんだな。
* 鬼気迫る命懸けで生きている。
ということは農夫にも確実に伝わり理解をされたと感じます。
つまり、厳しい労働をする人間からは、「心の修行」という良く分からないことをする人間に
最初は腹が立ったが、
* 相手も真剣に生きている人だ。
という自分との共通点を見出した時に、
「もういいよ。分かったよ」
という理解が農夫にもたらされたと感じます。
私たちも日々を真剣に生きることで、その姿を周囲も見ているものです。
「何でも良いから」真剣に打ち込む姿は、誰もが求道者です。
それを極めれば、自分の心が悟ることも起こります。
主婦道、サラリーマン道、武道、陶芸道、ゴルフ道、・・・・。
何でも真剣ならば、
* 「セレンディピティ」(serendipity)が起こるということです。
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日本人の道徳心
「心は枯れない」
体は枯れても心は枯れない。
これは老人にとって一つの励みになる言葉である。
どんな人でも、年を取れば肉体の衰えは感じるものだ。
しかし精神は衰えない。これは本当である。
私は英語が本職だが、英語を読むスピードや、
英語で書かれた難解な本を理解する力は
若いころより遥かに勝っている。
これはセネカがいっているように、
肉体の衰えは避けがたいが
精神のほうは変わらないことの
一つの証明となるであろう。
さらにいえば、精神は年を重ねるにつれて
むしろ向上しうるといっていいように思う。
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今日の諺
「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」
【意味】
敵どうしや仲が悪い者どうしが、
同じ場所にいたり、共通の目的のために
協力したりすること。
【由来】
昔の中国の故事で、
呉と越という敵同士の国の人が
同じ船に乗っているとき、
船が大風でしずみそうになったら、
おたがいに助け合ったということから。
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