「何があろうと獅子の如く生きるべし」
ライオンならば、どんな悪意の声にも驚かない。
風は、どんな世間の網にも掛からずに素通りします。
泥だらけの中に身を置いても、蓮華の花は、どんな泥水も身に付けない。
人も、このようにあるべきなのです。
どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.71)
* どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
これは会社でも、何かの集団でも孤立した変わり者に成れ、という意味ではありません。
他人とは常識的な態度、協力姿勢、調和、配慮、心の柔らかさである調和を努力します。
問題は、心の中の自身が生きる姿勢、芯の強さのことなのです。
誰もが究極は、最後の時は、自分一人で裸で逝くことを忘れては生けないのです。
これを健康な内から心中で日々に思い出していますと、他人の悪口や、意地悪や、病気や不運でさえも、
「そんなこともあったよね」と、すべてが愛おしい「思い出」に成ることが分かり始めます。
逆に、愛情深い人に成れるのです。これは実践が自分に教え、先行きを導きます。
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人が目指すべき仏陀に成れば、どのような様相の人に成るのか?それが、
(1) ライオンのように堂々としていなさい。
他人からの悪口や噂話を気にして右往左往、気にして心を病む人が多いです。
もう他人からのどんな「声」にも驚かない自分、という姿を意識しましょう。
人は、自分が意識する人に、今から成れるのです。
(2) 社会の中の網に捕らえられては生けません。
世間には、色々な網が存在します。金銭・異性・地位・学歴・容姿・・・・。
このような、どんな網にも心が捕まらずに、素通り出来る自分であることが重要なのです。
何事にも捕まらない自分で居ましょう。
(3) 泥の中に入っても、心にまで泥を付けては生けない。
社会に泥は在るものなのです。これを無くそうとするほうが無理があるかも知れません。
泥を自分だけ避けようとして苦悩はしないことです。
どんなにあがいても、身の回りは泥だらけです。陰謀・悪口・盗み・不倫・不正・・・・。
でも、自分の心だけには泥を付けない決意をしましょう。
そうしますと周囲は泥だらけでありましても、自分は身に泥を付ける行動をしない人に成れるのです。
最初に、心に泥を付けることを思わないことが大事です。自分が悪事をしたいと思わないことが大切なのです。
そして、
* どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
これは会社でも孤立した変わり者に成れ、という意味ではありません。
他人とは常識的な態度、協力姿勢、調和、を努力します。
問題は、心の中の自身が生きる姿勢、芯の強さのことなのです。
誰もが究極は、最後の時は、自分一人で裸で逝くことを忘れては生けないのです。
これを健康な内から心中で日々に思い出していますと、他人の悪口や、意地悪や、病気や不運でさえも、
「そんなこともあったよね」と、すべてが愛おしい「思い出」に成ることが分かり始めます。
逆に、愛情が深い人に成れるのです。
これは実践が自分に教え、先行きを導きます。
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日本人の道徳心
「仕事を趣味に」
いかなる仕事をするときも趣味を持たなくてはいけない、
と渋沢栄一はいう。
この趣味とは、仕事の他に何か楽しみを持つ
という意味ではない。
心の底から自分の仕事を好きになり、
「この仕事はこうしてみたい」
「こうすればこうなるだろう」というように、
理想や欲望を加えていくことをいっている。
つまり、仕事でも勉強でも
楽しむ境地にまで達すれば本物で、
これが趣味の極致なのだ。
仕事であれば、それを楽しむ境地に至れば、
一流の経営者となり得るだろう。
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今日の諺 「試行錯誤(しこうさくご)」
【意味】
何度も試すとき。
新しいことを行うときに、
試してみて失敗して、また試してみて、
ということをくり返して、
成功に近づいていくこと。
「試行(しこう)」はためすこと、
「錯誤(さくご)」はまちがえること。
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