「そろそろ本当の自分と向き合いましょう」
日本人の道徳心
「手応えと年季②」
仕事を媒介として、障害や壁を切り開く武器を
手に入れるチャンスが訪れているというのに、
自分からそれを放棄することほどもったいないことはない。
"年季"とは、これらの障害に立ち向かって
身についた、壁を乗り切る力のことをこそいうのだろう。
逆にいえば、何の障害もないような仕事ほど
つまらないものはない。
スラスラこなせるような仕事は、すぐにつまらなくなる。
つまらなくなった時点で、
それはもう仕事ではない、と考えたほうがいい。
自分を高めることができなくなっているからだ。
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今日の諺 「奇襲攻撃(きしゅうこうげき)」
【意味】
敵の予想していないような時間や場所、
方法で、攻撃をすること。
不意打ちをすること。
真珠湾攻撃 1941年12月8日
太平洋戦争開戦劈頭(へきとう),日本海軍機動部隊(空母6隻基幹)は,飛行機353機をもって1941年12月8日(日本時間。アメリカ時間では7日)朝,ハワイのオアフ島にある真珠湾に在泊中のアメリカ太平洋艦隊主力および同島の航空基地を奇襲し,大損害を与えた。アメリカ側の損害は戦艦4隻が沈没し,4隻が重大損傷をうけたほか,多数の艦艇,飛行機,人員が失われた。日本側は飛行機29機,特殊潜航艇5隻,人員64名を失った。この作戦は連合艦隊司令長官山本五十六の発案によるもので,日本海軍が永年にわたり練り上げた要撃作戦計画,すなわち太平洋を渡洋進攻するアメリカ艦隊を西太平洋で待ちうけ撃破するという計画とはまったく方針の異なるものであった。作戦は機密がよく保たれ,完全な奇襲に成功し,航空の水上艦艇に対する優位を立証し,以後の海上戦が航空主兵になる端緒をつくった。対米最後通告は,この攻撃の開始前30分に行われる予定が,駐米日本大使館の事務上の手遅れから攻撃開始後となり,アメリカ国民に〈真珠湾を忘れるな〉の標語を定着させ,戦意を高揚させた。
※多くの米国の人たちが奇襲による真珠湾攻撃でお亡くなりになりました。
謹んでお念仏申し上げます。
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長松寺報恩講
本日12月8日は私が住職を勤めます龍城山長松寺の報恩講法要です。
留守をしている私の代わりに、坊守、副住職、得度した次男夫婦、長女夫婦、
そして総代、仏婦、役員の皆さんが、しっかりと報恩講法要を勤めて下さいます。
いつもありがとうございます。感謝です。