「人は満たされない時に、人を非難する」
ワレヨシなドン欲に成ることが無く、普段にイラ立つことが無く、
自分勝手な欲望を持たずに、正しい他人を非難したくなる気持ちが自分に無いこと。
このような自分の激しい性(サガ)による欲情や悪事をしないこと。
このような悪い自分のサガを霧散させて、社会全体で自分が認められたいという
願望が消えた人は、どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く
覚悟を持ちなさい。まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.56)
※人は、自分が満たされない時に、寂しい時に、他人を非難したくなるサガが有る
ことを認識しておくことです。仏さんに生かされ生きている安心のある人は、人から
の承認欲求も人への批評批判も虚しく感じます。
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人は、自分が満たされない時に、寂しい時に、他人を非難したくなるサガが有るということです。
でも釈尊は、このように思う間はダメだと仰っています。
* このような心境が自分から消えた時、
* 自分が困難な状況でも、どんな他人も心から祝福が出来る「素直な」心境に成れた時、
* 内在する大いなる存在の仏に生かされ生きている実感
その人は、1本角のサイのように自分の求道を進みなさい。
涅槃(ねはん・浄土)に至る心に成れる可能性が有る。
と仰っています。
人の心とは、何と複雑であり変化をするのでしょうか。
まさに宇宙です。
だからこそ、わざわざコノ世に生まれて来て、自分で求道する意味も価値も有るのです。
誰もが自分の宇宙を完成させる為に生まれています。
今日も明るく頑張りましょう。
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日本人の道徳心
「なれない」という悟り
子供のころ、「自分は政治家にはなれないな」
と思ったことを覚えている。
だが、なれないから駄目だとは思わなかった。
政治家になれなければ、じゃあ何にならなれるのか。
そういうふうに考えることで、
本気の志というものが固まっていったのである。
そういう意味で、「なれない」と悟ることも大切なことである。
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今日の諺 「不協和音(ふきょうわおん)」
【意味】
調和がとれていないこと。
人間関係などが、ぎくしゃくしているとき
などにも使われる。
【由来】
音楽で使われる言葉で、
音がきれいに調和していなくて、
不安定な感じをあたえる和音のことから。
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