「どんな事があってもひょうひょうと生きる」
人は、すべての葉が枯れ落ちた黒檀(こくたん:鉄のように硬い褐色の木)のように
スッキリと居なければいけません。
世俗の中に居ましても、家庭生活の苦労を表面に滲ませていてはダメなのです。
家庭生活からの束縛が有りましても、ひょうひょうとして生きることが大切です。
どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.44)
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人は「生(性)老病死」、
コノ世に生きる限りは必ず自分自身に不足が生じるような法則に出来た世界なのです。
だから、人それぞれに応じて、必ず苦労も不満も悩みも有るのが人間です。それでも、
* 自分の顔に苦労を滲ませているのは、その苦労に自分自身が負けている。
ということです。
苦労に負けている間は、その苦労からはなかなか卒業が出来ないのも法則なのです。
特に釈尊が生きた時代とは、生きること自体=苦渋の生活、でもありました。
平均寿命は、現代の約半分でした。
* どんな苦労が有っても、それを自分の表面に滲ませている間は、
その転生(生まれ変わり)は終わらない。
ということでもあります。
どんな苦労が家庭にありましても、それに束縛された風には見えず、ひょうひょうと生きることです。
ただし、その苦労からは逃げずに、努力をしていることが条件です。
この継続は、苦労の克服と、次の段階への改善を現実に起こします。
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業を変える
「自分を取り巻くすべてに分け隔てなく、優しい念を送る」
自分の上方に慈悲の念を向け、
自分の下方に慈悲の念を向け、
自分の横、前後左右に慈悲の念を向け、
わだかまりなく、分け隔てなく、
恨みなく、敵意なく、
優しい念を送るよう、
練習するように。
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日本人の道徳心
「汲み出す一升より漏る一滴」
人は大体、自分が貯めたお金に比例して
利口になるものである。
ところが、底が割れていると、たまに大きく儲けても、
気がついてみると大して貯まっていないということになる。
大金を持ち逃げされた。
そんなものは大したことではない。
肝心なのは底をしっかりすることである。
「汲み出す一升より漏る一滴」
というのは千古の名言である。
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今日の諺 「泰然自若(たいぜんじじゃく)
【意味】
落ち着いていて、何があってもあわてないで
動じない様子。ゆったりしているとき。
「泰然」も「自若」もあわてないで
落ち着いているという意味。
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