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11/18(月) 「心に蛇の形を取らせてはいけない」

更新日:

「心に蛇の形を取らせてはいけない」

五つの自我のサガを捨て去った人。それは、
* 醜い貪欲さ * すぐ怒ること * すぐ心が沈むこと
* 心が落ち着かないこと* 何でも疑うこと
これらが無い人であること。また、すぐに悩まない人であること。
更には、五つの苦悩の矢。
* 自己中心的な色情の矢 * 他人を意味なく嫌悪する矢
* すぐに被害妄想をする矢 * 慢心する矢* 何でも悪く受け取る矢
このような苦悩の矢が抜けた人であること。以上の悪い自我から解放された人は、
コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変わり)を終わらせます。
それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ます。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.17)
2500年も前の釈尊も、やはり人の思いに蛇を幻視したので
ハッキリと「蛇」と言い残しています。

 

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この項が、第1章1節の最後です。
「それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ます」という、「
蛇」がテーマの節でした。
蛇とは、自我(ワレヨシの思い)が持つサガのエネルギー体を象徴する意味があります。

 

人が持つワレヨシな自我な思い(上記のような)とは、
霊眼では本当に蛇の形象で視えるものなのです。
2500年も前の釈尊も、やはり人の思いに蛇を幻視したので
、ハッキリと「蛇」と言い残しています。

 

現代の学者が考えますと、
ただの比喩の表現のように思うのでしょうが、
これは思いの世界を実写した現実の意味から気持ち悪い「蛇」なのです。
この項で私が感心して勉強になった言葉は、
上記の後半に出てくる「矢」という表現でした。

 

皆さんが心に他人を悪く思う時には、
生霊として本当に黒い矢のようなものが相手に飛んでいるのです。
相手を憎むごとに、その思いが何発も何発も黒い矢として相手に飛んでいます。
そして知って置くべきことは、生霊の黒い矢を放った人は、
その分の自分の生命力を無くしていることです。
本当に生命力が漏電するのです。減るのです。
そして怪我をしたり、病気に成ったり、悪いことが自分に起こっていくのです。
すべての事象は悪因悪果、自業自得の結果なのです。
それに気づける人は幸いです。
釈尊の言い方は、戒(いまし)めの内容ならば、
その逆をすれば「救われる」という意味でもあるのです。
どの言葉にも必ず救いを含ませています。
今から上記のサガの内容に注意して生きて行きましょう。
必ず人の人生は変わるものなのです。
悪くなるモノは、病気でも、怪我でも、事故でも人生でも、
そして、何でも逆に良く成ることも可能であることを含んでいます。

 

真の善い改善は、
日常生活の中で上記のような自分のサガに注意して生活努力をすることなのです。
人が出す生霊の視点からも、これは完璧に言えます。
この人は危ないと感じたら、そういう人とは絡まず、距離を置くことです。
神仏を尊び先祖にただ感謝だけをすることは、大切で重要な善行と成ります。
親鸞さまの書かれた「正像末和讃」に、
「人間のもつ煩悩はどめどもない。塵の数ほどもあり、その身に満ち満ちている。
物事が思い通りになればそれを愛し、そうでなければ怒りの心が湧き起こる。
煩悩の起伏の激しさは高い山のようだ。」と仰っています。
しかし、これは決して煩悩と共に生きる人間を否定しているのではなく、
そのような私を救って(煩悩から解放)して下さる阿弥陀さまの光に
照らされる。だからこそ、そんな愚かな自分の姿が見えて来るのです。
実は、そういった自分の愚かな自我がはっきりと見えたとき、
悪い自我がしっかり自覚できたとき、深く気づけたとき、
自分の煩悩から離れ、仏の光の大きな温かさの中に包まれているのです。
それを仏教では「救われる」と言います。
それを、お釈迦様は、
悪い自我から解放された人は、
コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変わり)を終わらせます。
それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ますと仰っているのです。
有難うございます阿弥陀さま。なんまんだぶつ。
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業を変える

「スピリチュアルなものや人に依存しない」

ストレスにおびやかされて心に落ちつきがなくなると、

人は神様を信じてそれに依存しようとする。

あるいはどこかの教祖様を信じ、

あるいは守護霊を信じて拝み、

あるいはスピリチュアルな木を拝み、

それらにすがろうとする。

こういった「スピリチュアルな」ものに

依存したり「スピリチュアルな」人に

洗脳されたりすることで、

現実から目をそらし、

束の間の安心を得ようとする。

けれでもそれらは、

安心できる拠りどころではない。

あなたがこれらに依存しても

自由を奪われて洗脳されるだけでm

ストレスを生み出す心の仕組みは変らないのだから。

 

日本人の道徳心

「やってみる②」

私は人から「どう選択したらいいと思いますか?」

とアドバイスを求められることがときどきある。

しかし、相談されても正しい答えがなんなのか、

私にはわからない。

だから、「よく考えて、断固、自分の信ずる道に

行くよりしかたがないでしょう」と答えている。

結果として、その選択がうまくいくかどうかは

本人次第なのである。

 

今日の諺 「安全第一(あんぜんだいいち)」

【意味】

工事現場や工場などで、

何よりも安全をいちばんに考えようという標語。

【由来】

アメリカで生まれた「セーフティー・ファースト」

という標語から。

1900年代初めの「生産第一・品質第二・安全第三」

という考え方を「安全第一・品質第二・生産第三」

と改めて、労働者の安全を重視したら、

品質がよくなり生産量も増えたことから生まれた言葉。

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