思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

未分類

11/16(土)「良いことにも、悪いことにも、執着しない」

投稿日:

「良いことにも、悪いことにも、執着しない」

コノ世の色々な物事(異性・性交・金銭・名誉・物・批判する事・・・)に
惹(ひ)かれる深層意識からの衝動が次々と湧き起こること。
このような「自我から生じるサガ(性)」が残存する限り、
人はコノ世に強制的に何度でも生まれ直す縁と成ります。
だから、自我から生じるサガを一切持たない人は、
コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変わり)を終わらせます。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.15)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
釈尊は、コノ世の物事に執着する「嫌な」「変なこだわり」のサガを人が持つ限り、
その人は何度でも「これでもか!」とコノ世に生まれ直すと断言されています。

 

でも、自分にとっての「嫌な」「ダメな」サガとは何か?
が自分では分からないものです。
世の中や他人に貢献したいと思う「良い執着」「良いサガ」も存在すると思います。
ただ、「良いサガ」の場合、それに「執着する」ことが無いのです。
それがダメでも、清々しく、仕方がない、と素直に思えて「忘れて行きます」。

 

悪いサガ(異性・性交・金銭・名誉・物・批判する事・・・)の場合は、
理屈なくソレが欲しくなり、なかなか「忘れることが出来無いのです」。

 

そして、この項での新たな示唆は、悪いサガは、「衝動的に湧き起こる」と表現されています。
ソレが好きだ、欲しい、と執着する悪いサガの場合は、理由もなしに衝動的に湧き起こるのです。
例えば異性に「一目惚れをする」とは、忘れている過去生からの縁であることが有ります。

 

釈尊が言われたことの全て。
仏典が示唆して導きたい本音の全て。
これを一言で言いますと、
「執着するな!」
なのです。

 

* 良いことも、悪いことも、コノ世のすべてに執着せずに、
  自分なりの最善を尽くしなさい!

 

ということです。
ただし、執着はせずにと言いましても、何もしないこと・ただの怠惰は、
縁者に迷惑を掛ける因果となり、コノ世のより悪い環境に再転生する因果と成ります。
自分のするべき仕事を頑張り、自分が出来る家族や他人へ協力することも、
「貸し借り」を残さない為に必要なのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

業を変える

「信じ込んではいけない10のケース」

多くの人々が

「自分の言うことは正しい。

あの人の言うことは間違っている」と言うため、

誰の言っていることが正しいのか、

わからなくなることもあるだろう。

他人にだまされ洗脳されて自由を失わぬためには、

次のように注意するといい。

➀うわさ話を聞かされても、

実勢に確かめるまでは信じ込まないこと。

②「この国では昔からこうするものだから」

などと伝統を持ち出されても、信じ込まないこと。

③それが流行していて評判がよくても、

信じ込まないこと。

④聖典やお経や本に書いてあるからといって、

信じ込まないこと。

⑤実際に確かめていない憶測を聞かされても、

信じ込まないこと。

⑥いかにも正しそうに、

「○○理論」や「○○主義」によるとされていても、

信じ込まないこと。

⑦常識に合っていても、信じ込まないこと。

⑧たまたま内容が自分の意見に合っていても、

「私もそう思っていたんですよ」と安直に信じ込まないこと。

⑨相手の服装が立派だったり

職業がすばらしかったり態度がうやうやしくても、

それらの見た目に惑わされて、信じ込まないこと。

⑩相手が自分の先生だからといって、

盲目的に信じ込まないこと。

 

日本人の道徳心

「雑務を有意義に」

雑務の中にも、全く意味のないものもあれば、

有意義なものもあるわけで、

その区別はそれを行う本人が

人生に何を求めているのかにかかっている

といえるように思います。

雑務と見えるものを有意義なものにしていく

生き方というのも、

現実にはありうるのではないでしょうか。

あるいは、そこにこそ人生を成功に導く

秘訣があるのかもしれません。

 

今日の諺 「純真無垢(じゅんしんむく)」

【意味】

けがれなく、きよらかなこと。

心が純粋で、飾り気がまったくないこと。

かわいらしいとき

 

-未分類

Copyright© 日々是笑日 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.