「舞台て゛は最後まで自分の役を懸命に演じ切ること」
コノ世のモノの一切が
(映画)幻想であることを深く自分で理解しており、
その中で、他人を押し退けてでもという自我(ワレヨシの心)から離れている人。
なおかつ、人生を捨てるように生き急がない人。
人生をムダに怠惰に過ごさない人。
このような人は、コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変わり)を終わらせます。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節)
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* コノ世が映画(幻想)であると認識をしながら、
それでも真面目に、懸命に楽しんで生きることが大事なのです。
これをすることが強制的で「嫌な苦しい」転生(てんしょう:生まれ変わり)を止める、
と示されています。
何ということでしょうか、たとえ映画の映像の中に自分が居ると分かっていましても、
その人生が自分の思う通りにならなくても、
* 今(過去・現在・未来)を一生懸命に生きなさい。
* 真面目に最後まで自分に与えられた役割を人と比べず演じ切りなさい
ということです。
映画(コノ世全体)の中に入り込みすぎて、自分はなんて惨めなんだ!
などと過剰反応で自殺などしては生けません。
また、何があっても自分を責めて自虐的に成ったり、
他に対して過度に批判的に成ってはいけません。
そうでは無くて、
* ダメな時は、ダメな役を思いっ切り演じ切ればよいのです。
ダメはダメでよい。人間は必ず時間の経過と共に起き上がれるように
なっているのです。
自分の演技(生活行動)を冷静に見ながら、幕が閉じるまで自分なりに
生かされる寿命を頑張って生きれば、どんな人生でもそれが最高の感謝の舞台と成ります。
今日も自分の役割を、良心に基づいて素直に生きていきましょう。
目いっぱい頑張って人生に後悔なく楽しんでいきましょう。
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業を変える
「安易な道を選ぶ人」
恥を知らずに他人を困らせる人。
エサを食い散らかすカラスのように厚かましい人。
我を押し通そうとするジャイアンのように横暴な人。
心はちっぽけなのに、まるで王様のように偉そうにする人。
「何様のつもりですか?」と言いたくなるほど生意気な人。
その人たちは、自分の心を向上させようとする難しい道のりを捨て
ました。
その代わり、
堕落しつつ苦しみを増やしていくという、
安易な道を選ぶことは自分を否定し卑下することになります。
自分を卑下することは、自分に命をつないでくれた存在たちへの
否定に成ります。これでは運が悪く向くのは当然です。
運どころか、健康も、人生も、あの世も、来世も失くていきます。
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日本人の道徳心 「修養➀」
新渡戸先生は、
「修養」の意味をこう説いています。
修養の「修」は、
修身すなわち身を修めること。
身を修めるとは
欲望や散漫な心を抑え、
自分に勝つ克己心のことである。
また、修養の「養」とは、
養う意味で、心を豊かにしていくことである。
日本人には本来こういった遺伝子が
太古の昔から受け継がれています。
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今日の諺 「伝統工芸(でんとうこうげい)」
【意味】
古くからうけつがれてきた技術を使って、
美術品や工芸品を作ること。
織物、染め物、陶磁器、木工品、
和紙などが熟練した職人さんによって作られる。
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