思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

未分類

11/10(日)「失うものは何もない この命さえあれば十分だ」

投稿日:

「失うものは何もない この命があれば十分だ」

ああだ、こうだ、と湧き上がる自分の思考を完全に停止させて、
何が有っても心中が安静なままを維持すること。
何も考えない無思考を実現させた者は、
コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変わり)を終わらせます。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.7)

あれこれと考える計らいを捨てて、ただただお念仏して

阿弥陀さまに「お任せ」すること。

赤ちゃんは心中で独り言がない存在です。だから生命力が溢れています。

それが大人になって、自我(自己中)の発生と共にあれこれと心の声

を生じ始めます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

大いなる仏に任せ、今に集中する事。
これに「気付けば」繰り返して行きますと、
病気が改善したり、運気が増すことが起こり始めます。
ロシアの神秘家・グルジェフは、更に興味深い発言を残しており、
* 無思考=時間を止める
とも、野ウサギ猟師の例を出して述べています。
(過去記事「どんな仕事でも覚醒へ到る」)

 

* 思考である自我(ワレヨシな心)の増大
=生命力の時間経過を促進させる
老化が進む
=色々な因果の束縛を受けて、
コノ世で思い通りに成らない。

 

* お念仏して無思考
=生命としての時間経過を緩やかにさせる
=心身が若い
=コノ世で現実に自分の希望を何でも操作が可能に成り始める。

 

つまり、人間の無思考とは、
ロボットでは無くて(仏と共に一体の境地)をコノ世で実現させます。
更に釈尊は、
* 仏と一つ=無思考=解脱(げだつ:繰り返し生まれ直す「強制の」転生を止める)
といういのちの最終ゴールをこの項で示唆されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

業を変える 「自分の内面に、目を向ける」

自分の内面を見つめることは、

ぼんやりした意識をしゃんと覚醒させる。

「あ、今、サボって遊びたい欲望が生まれた」

「あ、今、上司への怒りが生まれた」

「おや、怒りが消えていった」

「あれ、今度は甘えが生まれたみたい」

「今は、漠然と不安になっているようだ」

こうやって意識が自分の内面に向かい、

それに君がいつも気づいていられるのなら、

混乱した心が整理され、明晰になる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の諺 「絶体絶命(ぜったいぜつめい)」

【意味】

とても困難な状況から、のがれられない様子。

追いつめられている様子。

「絶対絶命」ではないので注意しよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本人の道徳心

「仕事の喜び」

ある事に一生懸命になって自分を沈潜(ちんせん)させてみたり、

あるいは身も心もくたくたになるくらいに

全力投球してみた途端に、

面白さが出てくるもの、それが仕事である。

本当の仕事と言えるようなものを持ったことのない人は、

このような面白さ、

何とも表現しかねるような喜びは

味わったことがないはずだ。

彼らは何かをやってはすぐに飽きて面白くなくなり、

また次のことをやり、

また飽きて次へということを繰り返す。

これでは仕事をしているとは言えない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

-未分類

Copyright© 日々是笑日 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.